2011年10月30日 人生の分かれ道

 説教あらすじ 「人生の分かれ道」       (30/10/2011) ◎[ヨハネ6:60-71]   ◆ここに3種類の人々が描かれている。    ①イエスのことばにつまずき、早々にイエスと共に歩むことをあきらめる人々。    ②終盤までイエスと共に歩むが、結局裏切る人。  ③最後まで、イエスと共に歩み続ける人々。 ◆この違いを生む原因は、究極的には、たった1つだけ = 私たちの(信仰による)『選択』。    *それぞれのグループが取った『選択』についてじっくり考えてみよう! ①イエスと共に歩むことを拒否 [66節] ・「信じられない」のではなく、「信じられる要素がある」のにも関わらず、それを信じることを拒否。 ・この世的価値観に執着し、『まことのいのち』に興味を示さない者は、決して悟らない。[マタイ13:13] ②イエスを裏切ることを選択 [64, 71節] ・イエスは「知っておられる」のであって「決めておられる」のではない。彼は知っていて、敢えて選んだ。あなた は、裏切られると分かっていても愛するか?イエスは最後までユダを愛し、彼の足をも洗った。[ヨハネ13:1-2] ・悪魔の手段は「私たちの『思い』の中に悪い種を蒔く」こと。私たちは自分の意志でそれを拒否できる! ・『人類最初の殺人事件』はどのようにして起こったか?[創世記4:3-7] これもカインの『選択』による。 ③「つまずき」を乗り越えて、従い続ける [67-69節] ・ポイントは『永遠いのちのことば』。彼らは「奇跡的なわざ」にではなく、『いのちのことば』に立っていた。[63節] ★「それがこの世において自分にどんな益をもたらすか?」ではなく、「今日、神のいのちの豊かさにあってどう生きるか?」を求めつつイエスのことばに耳を傾けるなら、私たちは日々正しい選択をしながら歩むことができる。   Outline of the sermon    “The crossroads of life”     (30/10/2011) ◎[John 6:60-71]   ◆ Here are 3 sorts of people described in this paragraph.    ① Those who Read more…

2011年10月23日 『聖餐式』を受ける理由

         説教あらすじ 「『聖餐式』を受ける理由」       (23/10/2011) ◎[ヨハネ6:52-59]  *イエスによる驚くべき表現 [53節]。 今日はこの『聖餐式』について深く学ぶ。  ①「イエスを持つ者であること」を自覚するため [54節] ・イエスは『教え』によってではなく、「ご自身を与える」ことによって私たちにいのちを与えた。[Ⅰヨハネ5:12] ・終わりの日に、父なる神がその裁きの座でご覧になるのは、私たちの「行いや知識」ではなく、私たちの内 におられる「御子イエスご自身」。 ②「魂の飢え渇きを満たす方であること」を覚えるため [55節] ・『まことの食物』とは、すなわち「1度得たなら、もはや繰り返す必要はない」ということ。[35節] ・私たちが「飢え渇いている」ものは何か? ➝ 「決して裏切られることのない信頼」「自分の不変的な価値」                          「自分を完全に理解し、それをありのままに受け入れてくれる存在」 ・イエスを人生に迎え入れる時、これらはすべて与えられ、日々イエスを味わうほどに、深く満たされていく。 ③「自己をイエスに明け渡すこと」を学ぶため [56節] ・この「とどまる」というのは、一方的で受け身的なプロセスではなく、相互作用。イエスは私たちが自分から 明け渡した(イエスを主と迎えた)領域にだけ働きかけ、祝福することができる。[ヨハネ15:4-5] ・まだ見ていないモノを信じ、求め続けるには、忍耐が必要だろう。[ヘブル10:36] しかしそれ以上に、イエス こそ、あなたの人生の全領域を祝福するために、あなたが彼を迎えてくれるのを忍耐して待っておられる。 ④「生きる目的が何であるか」を知るため [57節]   ・誰にでも『生きがい』が必要。イエスにとってそれは「父のみこころを知り、それを行うこと」だった。[ヨハネ4:34]   ・イエスが私たちの内におられるなら、私たちも彼によって志を与えられ、それを行うことによって真の喜びに満ちて生き るようになる。[ピリピ2:13] 「自分が何をするために生まれてきたのか分からない」のは、イエスを持っていないから。      Outline of the sermon  “Why do we have ‘Communion’.”  (23/10/2011) ◎[John 6:52-59]  *Jesus used amazing expression. [Verse 53]。 Let’s learn more about ‘Communion’.  ① Read more…

2011年10月16日 『つまずき』を乗り越えよう!

          説教あらすじ 「『つまずき』を乗り越えよう!」       (16/10/2011) ◎[ヨハネ6:41-51]  *今日は、私たちの信仰生活における「つまずき」について考える。  ①「イエスが天から下って来た」ということに対するつまずき [41-42節] ・イエスの出生に関する秘話。[ルカ1:30-35]  ・しかもずっと以前から預言されていた。[マタイ1:20-23] ・「聖書にこういう奇跡の記事がなければ信じるのに…」という人がいる。しかし、私たちにとっては奇跡でも   神にとっては不可能はない。[ルカ1:37]  聖書を文字通り信じられない人は、「神を信じようとしている」 のではなく、「自分の常識や理解力」を神としてしまっている。[ルカ1:45] ②「救われるために、人は何もできない」ということに対するつまずき [44節] ・すなわち「救われる人はあらかじめ決まっている。運命であって、誰もどうすることもできない」という考え。 これは部分的に正解。確かに「私たちが自分の救いのためにできること」はない。ただ信じるだけ。[47節] ・但し、同時に私たちが知っておくべきことは「神は法則のような方ではなく、人格を持っている」ということ。 イエスは神の完全な現れ。彼は嘆き、怒り、そして愛した。神は私たちの祈りを聞かれる。 私たちは誰が信じるようになり、誰が最後まで信じないかなんて分からない。ただはっきりしているのは、 「もし私たちが宣べ伝えなかったら、彼らは滅びる」ということ。 ③「イエスの肉を食べる」ということに対するつまずき [51節]   ・文字通りの意味を考えるならばおぞましいが、事実イエスは私たちの身代わりに十字架に『釘付け』にさ れた。それはある意味「その肉を食べること」同様にむごい。  ・『聖餐式』はイエスの十字架のわざを思い起こすための儀式だが、「イエスの肉を食べる」ようなもの。     ・クリスチャンにとって、イエスの十字架が「つまずき」になることはないが、逆に『当たり前』になってしまって はいないだろうか?私たちは日々この『イエスの犠牲』を直視しているだろうか?➝ [ピリピ2:6-8]      Outline of the sermon  “We shall overcome ‘Stumbling blocks’.”  (16/10/2011) ◎[John 6:41-51]  *Let’s think about possible ‘stumbling blocks’ for our faith walk.  ① Stumbling block of Read more…

2011年10月9日 いのちのパン

          説教あらすじ 「いのちのパン」       (09/10/2011) ◎[ヨハネ6:30-40]  ◆[30節] 人々はイエスを信じるために『しるし』を求めた。[Ⅰコリント1:22] (既に奇跡を体験したのにも関わらず!) ・彼らの先祖は出エジプトの際に『マナ』の奇跡を体験した。[31節] それだけでなく、他の数々の奇跡を見たに も関わらず、彼らは不信仰の態度を改めなかった。➝ しるしを求める者は決して満足することを知らない! ・『マナ』は真の「天来のパン」ではない。[32節] (またお腹がすくから) ・真の「天来のパン」は「いのちを養う」ためのものではなく、「新しいいのち」そのもの。[33節] ◆[35節] イエスははっきりと、ご自身が「いのちのパン」であるとおっしゃった。 ・彼を信じる者(自分にいのちを与える方として受け入れる者)は、もはや飢えることはない。[ヨハネ4:14, 7:37-39] ・人の本当の飢え渇きは、お腹のためではなく、魂からやってくる。(真の食物と出会えば、それは止む) ◆イエスと出会う人々の反応は、はっきりと2分される。(イエスの態度がはっきりしているから)    ①(見ても)信じない人[36節]   ②(見なくても)信じる人[37, 40節] ◆「神の前に失われている」[39節] とは? = 『罪の壁』によって、神と隔てられてしまっている人々。   ・この「失われた人」を捜して、罪にまみれたこの世に来てくださったのが、私たちの主イエス[ルカ19:10]。彼こそ、この世にあって私たちが「まことのいのち」を得るために、父なる神が遣わしてくださった『いのちのパン』。  ・この父なる神の私たちに対する熱意と愛情は、旧約聖書の中でも証しされている。[エゼキエル34:11-16]       Outline of the sermon  “The Bread of Life.”      (02/10/2011) ◎[John 6:30-40]  ◆[Verse 30] Jews demanded “Miraculous signs”. [ⅠCorinthians 1:22] (They’ve already experienced one!) ・Their forefathers experienced a sign Read more…

2011年10月2日 『人の視点』と『神の視点』

説教あらすじ 「『人の視点』と『神の視点』」    (02/10/2011) ◎[ヨハネ6:22-29] *今日は、私たちが陥りがちな、人生に対する誤った態度を、3つの角度から学ぶ。 ①[26節] 「しるしを見たこと」と「パンを食べて満腹したこと」は、どう違うのか? ・『パン』 = 「自分にどういう利益があるか」に注目。  ・『しるし』 = 「イエスとはどういう方か」に注目。 ◆イエスを自分のために利用しようとするのではなく、イエスが『誰』であって『どこから』『何のために』来られ、 そのために自分はどうすれば良いのか、を問わなければならない。 ②[27節] 「なくなる食物のために働く」のと「永遠のいのちに至る食物のために働く」のは、どう違うのか?  ・『なくなる食物』=自分の必要のために、自分の力で。  ・『永遠に至る食物』=他者の必要のために、神と共に。     ・人は誰でも「価値あることのために働きたい!」という願望を持っている。                  [Ⅱコリント4:18]     ・「何をして生きるか」以上に、「何のために」また、「どうやって(誰と)」それをするか、の方が重要である。 ③[28-29節] 「神のわざ(複数形)のために何をすべきか?」 vs 「『信じること』が神のわざ(単数形)」 ・神が求めておられるのは、「神のために何かをしてくれる人」ではなく、「神がなさろうとしていることを受け止 めてくれる人(器)」である。(『神のわざ』をするのは、私たちではなく、神ご自身!)すなわち、神の眼差しを じっと見つめて、彼から発せられるパスをしっかりキャッチする準備のある人。[Ⅱ歴代誌16:9] ★「あなたの人生は、あなたが中心ではありません。」(「人生の5つの目的」の最初の言葉)  ◆あなたの人生の主役を神に明け渡して、 「神がご自身のわざを現すために、あなたの人生をどのように用いるか」 に注目しましょう!  Outline of the sermon  “Men’s point of view and God’s point of view.”  (02/10/2011) ◎[ John 6:22-29]  *This passage tells us our wrong attitudes to look Read more…

2011年9月25日 恐れるな!

(今回のオーディオはありませんのでご了承ください。) 説教あらすじ 「恐れるな!」    (25/09/2011) ◎[ヨハネ6:16-21] *今日は『恐れ』について、3つのポイントで考える。 ①『恐れ』はどこからやってくるのか? ・主に、実際に起こっていない[イマジネーション]の世界で。(悪魔は「思いの中」に種を蒔く) ・「恐れの感情」が、わざわいをおびき寄せることがある。 ・人類が体験した最初の『恐れ』。[創世記3:10] ➝ 悪魔の誘惑に心を開き、神を締め出したとき。 ・人はしばしば『得意分野』で神を見失う。[19節] ②『恐れ』に打ち勝つには? = キリストを人生の舟に迎えること。[21節] ◆[Ⅰヨハネ4:4] キリストを通しての神との関係だけが、『恐れ』を締め出すことができる。  ・自分の側(善行・努力など)に拠り所を見出している間は、決して恐れから逃れられない。すべては神から の一方的な恵みによることを、よくよく知らなければならない。 ③『恐れ』の中で、神を見失わない秘訣。[19節]  ・弟子たちは恐れのあまり、イエスを見てさえ恐れた。 ➝ イエスの解決方法 =ご自身の『みことば』[20節] ◎神のことばに満たされていなさい![イザヤ43:1-2] ◆「こんなだらしない自分は、神に見捨てられてしまうのでは…」と恐れる人もいる。    神が嘆かれるのは、私たちの「弱さ・だらしなさ」ではなく、「神の『完全な愛・一方的な恵み』を私たちが疑うこと」。 Outline of the sermon  “Fear not!”   (25/09/2011) ◎[ John 6:16-21]  *Let’s think about “Fear” at 3 points. ① Where does ‘Fear’ come from ? ・Most of the Read more…

2011年9月18日 2種類の『知性』

説教あらすじ 「2種類の『知性』」   (18/09/2011) ◎[ヨハネ6:1-15] ◆[1-4節] ・イエスに従って行く者に2通りいる。 ①「神のわざ」を追い求めるタイプ ②「神の真理」を求めるタイプ [4節] 『過越の祭り』について  ・今日は詳しく学ばないが、これは人々が「神の約束のことば」と「子羊の血」の力に信頼して、災いから免れ たことを記念する祭り。今日の私たちも同様に「神の真理のみことば」と「イエスの十字架」に信頼するべき。 ◆「2種類の知性」がある。➝ 『知性』と『神』とは相容れないものではない。[使徒17:27,マルコ12:29-30]   ①神を締め出す知性  ②神を見出させる知性 神を締め出す知性 神を見出させる知性 観察対象 選り好み・『常識』のスクリーン  [7節] 手当たり次第・ありのまま  [8-9節] 追求方法 データ重視・損得勘定  [マタイ14:15] リスクを恐れず、徹底追求 結論 人間の万能性に期待 人間の限界を認識 反応 自分の利益のために利用  [14-15節] その事実・法則を尊重し、従う  [ルカ5:8] ◆イエスは、私たちの内にあるものを探られる。[6節]   ・イエスは、私たちが『真理』を求めているか、それとも「自分に都合の良いことだけ」を求めているかを試す。   ・多くの人が神を認めようとしないのは、「神がいたら都合が悪い」から。すなわち「自分が自分の人生の神」 でいたい。これこそ、聖書が指摘している『罪』。しかし、神を知ることこそ『知性』の基本。[箴言1:7] ★あなたは『知性』においても、神を愛しますか? ◎[John 6:1-15] ◆[Verse 1-4] ・There are 2 types of people following Christ.  ①Seeking “Work Read more…

2011年9月11日 神からの栄誉

説教あらすじ 「神からの栄誉」   (11/09/2011) ◎[ヨハネ5:39-47] *今日はここから、3つのポイントで学ぶ。 ①聖書は初めから終わりまで『キリスト』を指し示している。[39-40節] ・聖書が終始私たちに指し示しているのは「守るべき教え」ではなく、「神ご自身について」そして「神との関係 の回復について」である。そしてまさにキリストは「神とはどういう方なのか?」[ヨハネ14:9]、「神との関係の回 復への道は?」[ヨハネ14:6]を示し、その回復を実現なさるために、この地上に来られた。 ②私たちが本当の喜びを得られない原因。[ヨハネ15:11] *イエスが持っていた喜びの秘訣とは? [41節] 「人からの栄誉を受けない」とは、「人からの栄誉を受ける必要がない」の意味。  ・イエスは「人からの評価は、自分の価値を上げも下げもしない」ことをよくわきまえていた。   しかし、私たちはいつも「他人による評価」に一喜一憂してしまう。 何故?➝ 『認められたい』から。  ・私たちは「自分の価値」を見出すために、様々な手段を講じる。(例:知識・財産・有名知人・ハク・流行…)    ➝ 常に『優越感と劣等感』『興奮と虚脱感』の間を行ったり来たり…。(「人間は考える葦?」) [43-44節] イエスは、私たちを神と結びつけ、私たちが「神の愛による絶対評価」に目覚め、 その価値観に生きるようになるために来られた。 ◎『神の絶対評価』とは… ①「神の作品としての絶対的価値」 ②神の愛着の故の「測定不能の価値」 ③「モーセの律法」が与えられた理由。 [45-46節]  ・律法の本質は、人は「正しい行いをすることによって、神に認められる」のではなく、「神との正しい関係の中 で生かされていないと、正しく生きられない」ことを人々に分からせること。 ・「モーセが書いたのはわたしのこと(46節)」とイエスが言われたのは、律法もキリストも「私たちが神に注目す るようになるため」に存在し、どちらも『神の愛と義』を象徴している、ということ。 イエスが十字架にかかられたのは、この『神の愛と義』を明確に表現したものである。 Outline of the sermon “The praise from God” (11/09/2011) ◎[ John 5:39-47]  *Here are 3 points to learn. ① The Bible indicates “Christ” from Read more…

2011年9月4日 自分に関する証言

説教あらすじ 「自分に関する証言」   (04/09/2011) ◎[ヨハネ5:31-38]  ◆ある人物を知るために手がかりとなるものは?  ①自分の証言  ②他の人の証言  ③その人の業績(履歴) ◆イエスも、ご自分のことを知らせるために、次のことを示された ①自分の証言 [31節]    ・主観的であり、十分な証拠にはならない。 ➝ その人の人柄はつかめても、『真実』はつかめない。 ②他の人の証言 [33-35節]    ・参考にはなるが、1面でしかない。相対的評価。ほとんどの場合、一時的。    ・個人の好みなどがあるので、やはり『真実』ではない。 ③その人の業績 [36節]    ・客観的で、しばらく残るので、①②よりも優れているが、表面的なので、その人の実質が見えない。 ④父なる神の証言 [32, 37節]    ・創造主による「真実な絶対的評価」。隠れているものもすべて見通す。    ・私たちの『業績』を見るのでなく、ありのままを見、私たちの「信仰による選択」を重視する。 ★あなたは、自分に関するどの証言を拠り所にしますか? 聖書は次のように告げています。 [イザヤ43:4] [Ⅰサムエル16:7] [ヨハネ11:40] [イザヤ41:10] [ヘブル13:5]  Outline of the sermon “Testimony about ourselves” (04/09/2011) ◎[ John 5:31-38]   ◆ Some clues to know a person.   ① His own Read more…