2026年4月12日 「イエスにつまずかないために」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「イエスにつまずかないために」   (12/04/2026) [ルカの福音書 7章18~23節] ◆『つまずき』のメカニズム  ・『つまずき』はどうして起こるのか?それは相手に対して「こんな人であって欲しい」という自己願望があるから。全く期待していない相手に対してなら、誰もつまずいたりはしない。  ・当時のユダヤ人たちは、誰もが『ダビデ的ヒーローとしてのメシア』を期待していた。また律法学者たちは「自分たちこそイスラエルを代表する『神を敬う者』なのだから、もしイエスがメシアならば自分たちを重んじるはず」と考えていたので、自分たちと行動を共にしないイエスに「つまずいた」。 ◆『イエス』の正しい理解  ①神の顕現[コロサイ2:9] ・イエスは地上において「神のご性質・神の心・神の力」をことごとく表現された。  ②人のあるべき姿の模範[ヨハネ13:15] ・イエスは「人が本来あるべき姿」を表現し、私たちの模範となられた。  ③私たちが神に近づく『道』となられた[ヨハネ14:6] ・イエスは私たちを②のレベルに引き上げるために来られた。  ・「つまずく」のは、その余地(距離)があるから。互いにつまずかない距離(密着)を保ち、「相手のどんな呆れたことを見てもつまずかない」という確固たる決断をもって、主イエスに、また人々に接して行こう! 今日の真理: イエスこそ、来たるべきお方 ◎更に深い学びのために  ①誰かに「つまずいた」ことはありますか? それは「相手に対するどんなイメージ」が原因だったと思いますか?  ②どのような人々が、イエスに対して「つまずく」のだと思いますか? また、どうしてそう思うのですか?  ③自分が「イエスに」、また「他の誰かに」つまずかないようにするために、どんな心構えが必要でしょう? Outline of the sermon   “Don’t be offended by Jesus.”   (12/04/2026) [Luke 7:18~23] ◆How are we offended by someone?  ・Why are we offended by others?  It is mainly because Read more

2026年4月5日 「イエスの復活の証人」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「イエスの復活の証人」    (05/04/2026) [ルカの福音書 7章11~17節] ◆死人のよみがえり  ・イエスが死者をよみがえらせた記事は福音書の中に少なくとも3つあるが、この「ナインのやもめの息子」に関しては、他の場合と比べていくつかの特徴がある。それは「全くイエスと個人的な関係がなく、しかも頼まれてもいなかった」ということ。イエスは「深くあわれんで」とある。この語の原意は「はらわたを揺り動かされる」。  ・恐らくイエスは「やもめとなった母親がたった1人の身寄りである息子を失った」ということに強く心を動かされたに違いない。女手1つで子供を育てている皆さん、イエスの心は皆さんと共にあります! ◆イエスのよみがえり  ・聖書は「イエスはよみがえられた」というよりも、「神がイエスをよみがえらせた」という表現を多く用いている。[使徒2:32] そして「私たちはその『証人』である」と。一体どういう意味で私たちは「復活の証人」なのか?  ・「私たちの罪の代価を支払うために死なれたイエスを、神がよみがえらせた」という事は、「罪の代価は完済され私たちは完全に赦された」という事を意味する。[Ⅰコリント15:17] それ故私たちが罪の責めから解放されて「神に完全に赦された者として生きる」という事が、「キリストの復活の証人として生きる」という事なのだ![ローマ8:1] 今日の真理: 私たちは「イエスの復活の証人」 ◎更に深い学びのために  ①この「ナインのやもめの息子のよみがえり」の記事は、どのような点で特徴的ですか?  ②「神がイエスを死者の中からよみがえらせた」ということは、どんなことを意味していますか?  ③私たちは何故「イエスの復活の証人」と言えるのでしょう? この自意識はあなたの生き方にどう影響しますか? Outline of the sermon   “Witnesses of Jesus’ resurrection.”   (05/04/2026) [Luke 7:11~17] ◆Jesus raised the dead to life!  ・There are at least 3 stories in the Bible about Jesus raised the Read more

2026年3月29日 「イエスを驚かせる信仰」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「イエスを驚かせる信仰」   (29/03/2026) [ルカの福音書 7章1~10節] ◆百人隊長の優れた点(9節)  ①ユダヤ人に対する敬意 ・ユダヤ文化を尊重し、彼らのために会堂を建て、また自ら会いに行くことを控えた。  ②謙虚さ ・1人のしもべに対する思いやり。属国であるユダヤ人の文化や習慣を熟知し、それを尊重している。  ③信仰 ・イエスの権威を知り、しかもそれが創造主なる神から来ていることを信じ、「みことばの権威」を認めた。   ・ユダヤ人の長老たちは「この人には資格がある」と言ったが、百人隊長自身は「私には資格がない」と言った。『資格』は「行ない」によって与えられるのではなく「恵み」による。彼はイエスから溢れ出る恵みに期待した。 ◆百人隊長に倣う  ・私たちも、神から委ねられている「権威と責任」に忠実に歩むことによって、この「優れた信仰」に倣うことができる。私たち「信じる者」には、キリストによって驚くべき『権威』が与えられている。[マルコ16:17-18]  ・私たちは、このような「大いなる救い」や「御国の権威」に与る素質も資格もなかった。ただ「イエス・キリストにある恵み」によってのみ、それが委ねられている。この「神の愛と信頼」に応えて、神の御前に身を低くし、みことばに従いつつ、「御国の権威」を行使しながら、この世にキリストを証しして行こう! 今日の真理: 神のみわざは、神の権威の下に歩む者を通して現される ◎更に深い学びのために  ①百人隊長の信仰が優れていたのは、どのような点においてですか?  ②あなたがこの百人隊長の「優れた信仰」に倣う上で、障害になっているものがあるとすれば、それは何ですか?  ③イエスは『信じる者』にどんな約束を与えていますか? この約束の成就のために必要なものは何でしょう? Outline of the sermon    “The faith that Jesus marvels.”    (29/03/2026) [Luke 7:1~10] ◆What is “marvelous” about centurion’s faith? (Verse 9)  ①Respect towards Jews. ・He built synagogue for them and hesitated himself to come Read more

2026年3月22日 「信仰の3段階」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「信仰の3段階」    (22/03/2026) [ルカの福音書 6章46~49節] ◆『家』の評価  ・家はどんな基準で選ぶべきか?ロケーション?間取り?見栄え? ⇒ 大切なのは『地盤』。  ・この箇所でイエスは私たちの人生を『家』にたとえているが、ここから「3つの信仰の態度」を見ることができる。 ◆信仰の3段階  ①神に願いを叶えて欲しい(46節)   ・「主よ」と呼んではいるが、実際は神に自分の要求を押し付けている。「ご利益がなければダメ」という信仰。  ②自分の益になりそうなみことばだけ実践する(47節)   ・クリスチャンであるなしに関わらず、「キリスト教は良い教えだ」と思っている人は多い。しかし「耳障りの良い教え」には耳を傾けるが、従うためには犠牲を要するようなみことばには気付かなかったふりをするもろい信仰。  ③すべてのみことばに聞き従う(48節)   ・これは「みことばそのもの」よりも「それを語っておられる方」に対する愛と信頼。[ローマ10:11]  ・「どんな家を建てるか(人生でどんな成果を上げるか)」以上に、「家をどう建てるか(どんな原則に従うか)」が大切。 今日の真理: みことばは、行うためにある ◎更に深い学びのために  ①イエスは、どんな意図をもってこのたとえを話されたのだと思いますか?  ②「私は神を信じます」と言っている人たちの中には、どのような信仰が含まれていると考えられるでしょう?  ③「イエスのことばを聞いて行う者」となりたいですか? そのためにあなたに必要とされているのは何ですか? Outline of the sermon    “3 Levels of Faith.”    (22/03/2026) [Luke 6:46~49] ◆How do you evaluate “a house”?  ・When we buy “a house”, we tend to look at Read more

2026年3月15日 「『良い実』を結ぶために」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「『良い実』を結ぶために」    (15/03/2026) [ルカの福音書 6章43~45節] ◆『良い』とは?  ・今日の箇所には『良い』という語が何度も登場するが、実際には「良い方」は『神』だけであり、すべての良い物は神から来る。私たちが「クリスチャンなんだからガンバって『良い事』をしなきゃ!」と精一杯努力しても、せいぜい行き着く先は「ダメな自分に打ちのめされる」か、もしくは「高慢になって神から離れる」かのどちらかである。  ・気を付けなければいけないのは、この箇所は「良い事をすること」を教えているのではなく、「良い木になるための勧め」だということ。そして『良い木』とは主イエス・キリストのことであり、私たちはその『枝』に過ぎない。 ◆『良い実』を結ぶために(ヨハネ15:5)  ・『枝』である私たちは『実』を結ぶが、その条件は唯一「『木』にとどまっている」ということ。では私たちはどのようにして「主イエスにとどまり、実を結ぶ」のか?それは「枝に徹すること」によってである。次に2点に注目しよう。   ①「自力では実を結べない」と自覚し、ひたすら「木であるイエス」から栄養(みことば)を受け取り続ける。   ②「自分を喜ばせる」のではなく「他の人を建て上げること」を念頭に置き、自分ではなく主イエスに注目させる。  ・「実を結ぶ」のは神のわざ。神は私たちへの愛の故に、それを「私たちを通して」成就なさる。 今日の真理: 私たちは『木』ではなく「枝」である ◎更に深い学びのために  ①神の国の視点で考える時、「良い物」とは、どのようなものだと思いますか?  ②神が私たちを通して結んでくださる『良い実』には、どのようなものがあるでしょう?  ③私たちが「枝に徹するため」に変えなければならないのは、どんな点でしょう? 皆で話し合ってみましょう。 Outline of the sermon  “How to bear good fruits.”  (15/03/2026) [Luke 6:43~45] ◆What is “good”?  ・These verses are not telling us “to do good things”.  If we try doing “good” Read more

2026年3月8日 「目から梁を取り除く」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「目から梁を取り除く」   (08/03/2026) [ルカの福音書 6章39~42節] ◆目の中にある梁  ・ここでの『盲人』と「目の中に梁がある人」は、同じタイプの人を指している。直接的には『律法学者やパリサイ人たち』であり、「自分たちこそ神のことを知っている」と自負して、他の人をさばく人たち。  ・また「師のようになる」とは、必ずしも「その『教え』や『わざ』において熟達する」という事に限らない。重要なのは『神との親密な関係』。「どれだけ『神の心』を汲み取り、またそれを実践する歩みをしているか」がカギ。目の中に「梁」があっては不可能。そのような生き方は「主イエスの歩み」の中にのみ見出せる。 ◆イエスの模範(ピリピ 2:3-8)  ・主イエスは「神の御姿を捨てる必要」も、「人間と同じようになる必要」も、「死に従われる必要」もなかった。では何故そうなさったのか?それはただ「御父がそれを望まれた」から。  ・主イエスのこの模範に従うことをひと言で述べるなら、「『どうして自分がそれをしなきゃいけないの?』と言わない」ということ。無茶な話だが、主イエスはそれをなさった。これが『神との親密な関係』に生きるということ。私たちに求められているのは「立派な人になること」ではなく、ただ『主の御足について行くこと』なのである。 今日の真理: イエスはいつも完璧な模範 ◎更に深い学びのために  ①私たちの「目の中にある梁」とは、何ですか?  ②私たちにとって「十分に訓練を受けて、『自分の師』のようになる」とは、どういうことでしょう?  ③あなたは主イエスの、特にどのような点を模範として歩んで行きたいですか? Outline of the sermon   “Take the log out of your eyes!”    (08/03/2026) [Luke 6:39~42] ◆The log in our eyes.  ・“Blind man” and “having log in own eye” indicate the same thing.  Those who are Read more

2026年3月1日 「『恵みの生き方』の実例」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『恵みの生き方』の実例」   (01/03/2026) [ルカの福音書 6章37~38節] ◆さばかない(37節)  ・「さばかない・不義に定めない・赦す」は、ほぼ同義。イエスはここで「この世における人間関係の秘訣」ではなく、「地上での人間関係における私たちの態度が、神との関係の親密さに影響を与える」ということを教えている。  ・私たちは「人をさばくため」には遣わされていない。主イエスでさえさばかなかった。[ヨハネ8:15] 『先走ったさばき』は危険。[Ⅰコリント4:5] かといって「いいよ、いいよ」と何でも見逃すべきでもない。『罪』は正しく指摘すべき。[マタイ18:15] 私たちの使命は、神と共に「建て上げる」こと。[ローマ14:4] 「『恵み』に生きる時、神と出会う」のである。 ◆与える幸い(38節)  ・2週間前に「一時的な幸いは、真の祝福ではない」と学んだ。しかしここでの「与えなさい。そうすれば、与えられます」は、地上での人間関係における法則(一時的な幸い)ではなく、「神の性質の表現」であり、与えた後の喜びは「神の喜びと共鳴し合う『天の喜び』である。[箴言19:17,マタイ25:40]  ・私たちは、神から地上で一時的に委ねられた「物質・お金・時間・労力」を喜んで『分け与える』よう召されている。だからドンドン分け与え、また(相手が祝福を受けるために)喜んで受け取って行こう! 今日の真理: 「与える喜び」は、『天の喜び』 ◎更に深い学びのために  ①「先走ったさばき(早急な決め付け)」をしてしまって失敗した経験があれば、分かち合いましょう。  ①『恵みの生き方』には、どんな実例がありますか? どうしてそれらが『恵みの生き方』と言えるのでしょう?  ②なぜ『与える幸い』は、「一時的な幸いではない」と言えるのですか? Outline of the sermon   “Examples of ‘Merciful living’.”    (01/03/2026) [Luke 6:37~38] ◆Judge not!(Verse 37)  ・“Not judging, condemning but forgive” are from one spirit.  Jesus is teaching here not about “keeping human  Read more

2026年2月22日 「みこころの通りになるように」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「みこころの通りになるように」   (22/02/2026) [ルカの福音書 6章27~36節] ◆『恵み』の生き方(32~34節)  ・ここでイエスが繰り返している「どんな恵みがあるでしょうか」は、「それらは『恵み』ではなくて、誰もがやってる『当然のリアクション』ですよ」の意味。私たちに対する神の「当然のリアクション」は『さばき』。しかし神は『恵み』  によって救ってくださった。「『恵み』による生き方」が身に付かなければ、神と心を揃えて生きることは到底できない。イエスがここで教えておられるのは、単に「敵を愛する」という行為そのものではなく、「『神の子』としてふさわしく生きて欲しい」という『神の願い』なのである。 ◆イエスのように(35~36節)  ・今日の内容は、この2節に集約されている。私たちは驚くべきことに、既にこの『いと高き方の子供』としての特権が与えられている[ヨハネ1:12]が、実質としては未完成。そしてこれは「自分のガンバリ」によって身に付くものではなく、神ご自身が私たちの内なる聖霊の働きによって成就なさる。私たちはそのために「選ばれた」。  ・神がなさるならば、私たちは『無理』と言って拒むのではなく、マリアのように「あなたの望まれる通りになりますように」と明け渡して祈るべき。神は今日もそのような『キリストの心』をもって従う者を捜しておられる。 今日の真理: 「恵み」に生きる時、『神』と出会う ◎更に深い学びのために  ①「恵みの生き方」とは、どんな生き方でしょう? あなたの知っている具体例を挙げてみましょう。  ②聖書が『預言的書物』であるとは、どういう意味ですか?  ③私たちの人生を通して神がなさろうとしておられることが実現するために、私たちに何ができますか? Outline of the sermon   “Let it be according to God’s will.”    (22/02/2026) [Luke 6:27~36] ◆“Grace based” life. (Verses 32~34)  ・Here Jesus repeats, “What benefit is that?”  In other words, “That’s something anyone can do!”  What Read more

2026年2月15日 「イエスを微笑ませる信仰」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「イエスを微笑ませる信仰」   (15/02/2026) [ルカの福音書 6章20~26節] ◆神に祝福された者(20~21節)  ・『幸いです』という語がくり返し登場するが、これは本来「あぁ、何と祝福されていることよ!」というニュアンス。 言わばイエスはここで「真に神に祝福されている者は、地上でどのように生きているはずなのか」を描いている。  ・『貧しい人』とは、文字通り「貧乏人」という意味ではなく、「自分は神の前に何も持っていない。神こそが自分の  全てである」と自覚している人。『飢えている人』も同様に「お腹が空いている」のではなく、「自分の霊的貧しさを  認め、神との親密な関係を求めてやまない人」。『泣いている人』も「涙もろい」わけではなく、今の世に蔓延している「罪や不義」を嘆き、1日も早く『神の義』が地上を支配することを待ち望んで止まない人のこと。 ◆神に喜ばれる信仰(22~23節)  ・『信仰』とは、今有るものではなく、「やがて来るものを思って、今喜ぶこと」である。[へブル11:13] では何故そのように生きる『キリストの弟子』は迫害を受けるのか?それは悪魔(そして彼が支配しているこの邪悪な世)が「神の義に生きる者」を無視できないから。もしそのような迫害を経験していないとしたら、それは「社会体制のおかげ」というよりも、私たち自身の『信仰の姿勢』の故かもしれない。パウロは言った。[Ⅱテモテ3:12] 今日の真理: 一時的な幸いは、真の祝福ではない ◎更に深い学びのために  ①イエスはどのような人々を『幸いな人』と呼んでいますか? それはどうしてだと思いますか?  ②『神の国の価値観』と「この世の価値観」とは、どう違いますか? あなたの今の生き方はどちらに近いでしょう?  ③やがて必ず来る『神の永遠の祝福』にはどんなものがあるでしょう? 皆でリストアップしてみましょう! Outline of the sermon   “Faith that makes Jesus smile.”    (15/02/2026) [Luke 6:20~26] ◆ “Blessed” people. (Verses 20~21)  ・Jesus is describing how real “Blessed people” look like on the earth.  “Poor” Read more