(346) “主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。”

私たちがまだ無邪気な子供の頃、児童公園に行くとまずブランコへ行ってひとしきり楽しんだ後、次はジャングルジムへ行って上り下りし、そしてまた滑り台へ向かって懲りずに何度も滑ってはまた登るを繰り返したものです。一方、同行した大人の方は「もうその滑り台をもう1回滑ったら終わりだぞ」とか「あと5分したら帰るからね」などと何とか制限を加えようとし、それに対して子供の方は「あと1回だけ、あと1回だけ」を繰り返しながら飽くなき抵抗をするわけです。 これらの「疲れを知らずに次の目標を追い続ける子供たち」は、一体いつの間に「(歪んだ)現実を突き付けて夢をあきらめさせる大人」へと『成長(堕落?)』してしまうのでしょうか?彼らは一体「何を得、何を失って」しまったのでしょう? 「攻撃は最大の防御である」と言われます。サッカーの試合などで終盤を迎えると、1点リードしているチームはしばしば同点に追いつかれることを恐れて『守りの体制』に入ってしまいます。すると負けている方のチームは「何としても得点しなければ!」と一斉攻撃をかけ、その防御の壁を見事に破ってしまうことがあるものです。すなわち『失うことを恐れない積極性』は『失敗を恐れる消極性』に優っているのです。 私たちの人生にも同じことが言えるのではないでしょうか?失敗や失うことを恐れるがあまり、新たな挑戦や積極的姿勢をあきらめて、早々と『守りの体制』に入ってしまう人は、神がその人に与えておられる「豊かな可能性」を花開かせることなく、悪くすれば「後悔に満ちた終局」を迎えることになるかもしれません。 神と共に歩む人生は、「失敗のない人生」ではありません。それは「失敗を恐れない人生」です。神があなたの『とりで』となって、決してあなたが致命傷を受けることがないように守っていてくださるからです。『真の成功・勝利』とは「何かを成し遂げること」ではなく、「いつも次の挑戦を目指して前進し続ける積極的姿勢」なのです。

2019年7月7日 「真理による自由」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「真理による自由」        (07/07/2019) ◆『真理』の性質 (「御霊による知恵」 ≒ 『真理』) [Ⅰテモテ2:4]: 私たちは『真理(御霊による知恵)』を知るために救われた! ・聖書が言う『真理』は、「原理・法則」のように「1度学んでしまえば、もはやいつでもどこでも通用する」といった 性質のものではなく、その場その場で御霊によって「啓示される」もの。だからいつも神から離れずに歩もう! ・この『真理』に導かれた歩みの模範 = イエス・キリストの人生。[ヨハネ14:6] ◆真理(御子イエス)による自由 [ヨハネ8:31-36] ― 3つの分野において ①固定観念からの自由   ②「人の目」からの自由  (①⇒②の順) ・「神の国の真理」は、私たちを固定観念(この世の価値観や過去の経験に基づいて形成されたもの)から解放する。 ③世の欲からの自由 [Ⅰコリント13:10], (マタイ13章にある「天の御国のたとえ」) ・多くの人々がこの戦いに敗れているのは、まだ『本物(真に私たちの欲求を満たすもの)』を十分に知らないから。 ✰今日の大切なひと言: 「『真理』を知るごとに、『自由』にされていく。」   Outline of the sermon       “Freedom by the Truth.”      (07/07/2019) ◆Characteristic of “the Truth”. (“Wisdom of the Spirit” ≒ “Truth”) [ⅠTimothy 2:4]: We are saved to Read more…