(349) “イエスは彼に言われた。「良くなりたいか?」”

ある日イエス・キリストが神殿の中を散歩していると、38年もの間寝たきりで、人々の助け無しには生活できないでいる男に出会いました。表題の言葉は、その時にイエスがその男にかけた言葉です。あなたがその男だったら、どんな反応をするでしょうか? 答えは明らかなように思えますが、実際この男は体以上に心が病んでしまっていました。この病があまりにも長い期間続いたので「オレがこんなになってしまったのは、環境のせい、周囲の人のせい、世間の冷たい扱いのせい」のように感じてしまっていたのです。 私たちは皆人生において、少なくとも2つの責任を負っています。1つは「自分の態度に対する責任」、そしてもう1つは「自分の選択に対する責任」です。どんな人にも少なからず「嬉しくない出来事」が起こります。そんな時私たちは当然ガッカリしたり落ち込んだりしますが、もしその出来事から20年経った後も「あの時にあんな出来事が起こったばっかりに、私の人生はこんなになってしまった…」とクヨクヨしているとしたら、それはもはや『出来事そのもの』のせいではなく、『自分の選択』の結果なのです。何故こんなことが起こるのでしょう?それは『自分の態度』が「前向き」ではなく「後ろ向き」だから、すなわち「そのような出来事が自分の人生に起こった事を赦せないでいる」のが原因です。 私たちはしばしば『誰か』を赦せなかったり『起こった出来事』を赦せなかったりします。そして「赦さないでいること」によって自分を相手より優位においている気がしていますが、実際は『赦さないでいる相手の奴隷』になってしまっているのです。もしあなたが「赦せないでいる相手」が謝罪しに来てくれるのを待ち続けているとしたら、それは時間の無駄です! イエスはこの『38年寝たきりの男』に「起きて床を取り上げて、歩きなさい!」と命じられました。すると何と彼はすぐに治って歩き始めたのです。イエスは私たちの肉体的な病を癒すだけでなく、私たちの『誤った人生の方向性』をも矯正してくださる方なのです!

2019年7月28日 「『悔い改め」がもたらすもの」

説教あらすじ      「『悔い改め』がもたらすもの」     (28/07/2019) [マルコ1:1-4] ◆悔い改めと罪の赦し(4節) ― 『罪人』に求められる「悔い改め」 ・『悔い改め(メタノイア)』 = 方向転換。  ・『罪(ハマルティア)』 = 神とのズレ。 「神を無視して(神を神と認めずに)生きていた態度」から、「神を自分自身の神・主と認めて(神をしっかりと見つ めながら)生きる態度」へと方向転換するときに、私たちは罪を赦され、神の子とされる。 ・続くマルコ2章では、中風の患者が友人たちによって「イエスの許に連れて来られる」。イエスは彼らの信仰を 見て「あなたの罪は赦された」とおっしゃった。ここでも罪の赦しのために必要なのは「罪を償う行為」ではなく 『信仰』、すなわち「悔い改めて、神の許に立ち返ること」だけ。 ◆罪からの解放 ― 『神の子』に求められる「悔い改め」 ・「罪の赦し」が悔い改めによって起こるなら、「罪からの実際的解放」はどのようにして起こるのか?実はこれも 神の子としての『悔い改め』によって成し遂げられる。 ・「罪から解放された歩み」とは、すなわち『主イエスが歩まれた歩み』。それはただ「主イエスを見つめているだ け」では起こらない。私たちに求められるのは「主イエスが見ているものを一緒に見つめて」生きること。 ・先週学んだように『父の家』にとどまっていると「主イエスが見ているもの」が見えてくる。そのためには、この 『新しいレベルの方向転換』が必要。今週も「イエス様、あなたが見つめているものを私にも見せて下さい」と 求めながら歩みましょう! ✰今日の大切なひと言: 「主イエスが見ているものを見つける。」   Outline of the sermon       “What repentance brings.”      (28/07/2019) [Mark1:1-4] ◆Repentance & Forgiveness of sins.(Verse 4) ― Repentance for “Sinners”. ・“Repentance” = Read more…