ある日の午後、あるお宅の前に1匹の疲れ切った犬がフラリとやってきました。それを見つけたその家の主婦が扉を開いてやると、庭にノソっと入ってきました。こぎれいな犬だったので、玄関の扉も開けてあげると、家の中にも入って来て、居間の居心地良さそうなスペースを見つけて、ほどなく眠りにつきました。2時間ほど経つとムックリ起き上がり、玄関のところに立ったので、ドアを開けてやると、スタスタとやって来た方向へ帰って行きました。

 次の日も同じような時間に、再びこの犬がやってきたので、同じようにしてあげると、同じ場所でやはり2時間ほど昼寝をした後に帰って行きました。そして同様なことが1週間続いたので「ひょっとして飼い主が心配しているのでは?」と思ったこの主婦は、その犬が帰る時に首輪に次のようなメモを付けて送り返しました。「この1週間、午後になるとお宅の犬が我が家にやってきては、2時間ほどお昼寝をしてから帰って行きます」と。

 翌日、同様に例の犬がやってくると、その首輪に次のようなメモが付いていました。「実はこの犬は10人の子供がいる家で暮らしています。きっと2時間だけその喧騒から避難するためにお宅に通っていたのだと思います。ところで、明日は私もこの犬と一緒にお宅へ伺ってもよろしいでしょうか?」

 この話を聞いて、単に微笑むだけでなく、「私もそんなくつろぎの場所が欲しい!」と思わず心で叫んでしまう方はいないでしょうか?心のどこかで「自分は頑張って耐え忍んで『スーパー母ちゃん』を演じなければならない!」と気負ってはいませんか?私たちはそのように突っ張って生きていたら、いつか『ポキ』っと折れてしまうかもしれません。

 人間はそれほど『強く』はできていません。「くつろぎ」や「ホッとひと息」が必要です。「『だらしない主婦だ』と言われたくない!」という力みを肩から降ろして、時には家事をほっぽり投げたり、子供の世話を親や友人に任せたりして、『だらしない主婦』になってみても良いのでは?

Categories: 聖書

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