「蒔いた種を刈り取る」という言葉をご存知だと思いますが、実はこの言葉は聖書から出ているんですよ。神様は恵み深い方ですが、私たちの『尻ぬぐい』をさせるべきではありません。例えば「自分は不摂生な生活をしていますが、どうぞ健康をお守りください」とか、「勉強をサボっていますが、試験に合格させてください」などという祈りは虫が良すぎます。神は私たちに「蒔いた種は刈り取らせる方」なのです。(これは「バチを当てる」のとは違いますよ。真の神は『バチ』なんか当てません!)

 しかし、人生には自分ではどうしようもない事がたくさんあります。突然の病気や自然災害。経済的困難や事故や怪我。そのような『人生の危機』に遭遇した時、私たちは思わずも「神様、どうしてですか?」と叫びたくなります。こんな時、クリスチャンたちは「ご自分の御子をさえ私たちのために死に渡された方は、今日も私に最善をなさっているはずである」と信じ、こう自問自答します。「このような問題に直面させることを通して、神は私に何を教えようとしておられるのだろう?」

 聖書の別の箇所には、「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ」という言葉があります。神は確かに物事が順調に運ぶ日々を経験させることで私たちに幸いを味わわせてくださることもありますし、逆に「何をやってもうまく行かず、頭を抱えてしまう日々」をも経験させます。多くの場合私たちは、順調な時は神を忘れ、何か問題が起こると神に文句を言ってしまうのではないでしょうか?

 神は、どんな時でも『神』です。ですから、物事が順調に運んでいる時には「神に感謝」し、事がうまく運ばない時には、「神様、あなたはこの状況を通して、私に何を学ばせようとしておられるのですか?」と祈りつつ神に問いかける者でありましょう。


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