2016年3月20日 「信じる者に伴うしるし」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「信じる者に伴うしるし」     (20/03/2016) ◆福音の中身⑥ ― 「信じる者に伴うしるし」(信じる者は「イエスのわざ」を行う、と言われた)[ヨハネ14:12] ・イエスが最も頻繁に行われたことは「病のいやし」[ルカ6:19] ― これはイエスの『メシア性』をも証明。[マタイ8:16-17] ・これはもちろん私たちの能力を超えた、イエスにしかできないみわざ。しかし彼も私たちを必要としておられる。 ◆『病のいやし』の意味   ①「病がいやされること」は、神のみこころである。 ・神のみこころは、私たちが「神との個人的な関係」に招き入れられ、『人間本来の状態』へと回復されること。 病がその人にとってつまずきとなっているなら、神は喜んでいやされる。また『愛の神』は私たちが「不必要 な苦しみ」にさいなまれることを望まれるはずがない。 ②「信じる者に伴うしるし」は、福音宣教と共に働く。 [マルコ16:15-20] ・神の目的は「しるしそのもの」ではなく、人々を「ご自身との個人的な交わり」の中に招き入れること。それ故 イエスは「ご自身のことが大胆に紹介されている場面」で『自己紹介』としてみわざをなさる。 ・私たちが「奇跡的なみわざそのもの」や「手足として用いられる自分自身」に注目してしまうならば、イエスは もはや働くことができない。 ◆『祈り』ではなく、『宣言』 ・聖書の中で、誰かが「いやしのために祈った」という記事はほとんどない。それらはいつも「命令」や「宣言」。 ・私たちの熱心さや費やした時間の長さではなく、「イエスの力や権威」「愛と信仰」をもって、聖霊(キリストの 心)に導かれて、手を置き命じる。祈るなら、それは「手を置いてから」ではなく、その前。[使徒28:8]    Outline of the sermon     “Signs accompany believers.”   (20/03/2016) *What has God given us with Jesus? ― ⑥“Signs accompany those who believe”. ◆Anyone who Read more…

2016年3月13日 「祈りの扉が開かれた!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「祈りの扉が開かれた!」     (13/03/2016) ◆福音の中身⑤ ― 「祈りの扉が開かれた!」 *神はイエスの十字架と復活のみわざによって、私たちのために『祈りの扉』を開かれた! ・誰に向かって祈るのか? ― 天地創造の全能の神。ひとり子さえお与えになった気前の良い愛の神。 ・何によって祈るのか? ― 自分の業績や立派さではなく、義なるイエスの身代わりによって。[ヨハネ16:23-24] ◆『聞かれる祈り』の秘訣 ①信じて祈る [マタイ21:22] ・「何を信じるのか?」 ― 神は善い父であり、不可能は無い。みことばの約束と聖霊の導き。 ②しつこく祈る [ルカ18:1-8] ・「求めなさい」の原意に忠実な訳は、「求め続けなさい」。 ・いつまで祈ればいいの? ― 答えられるまで or 「みこころでない」とはっきり分かるまで。 ③共に祈る [マタイ18:19] ・神はいつも『愛のうちに』働く。 ・『信仰の友』によって霊的に励まされる。   *結局カギは、『信仰』! ◆よくある質問 ◎「こんなこと祈っていいの?」 ― それは「祈る側(私たち)」ではなく、『答える側(神)』が決めること。 ◎「みこころにかなった祈り」(Ⅰヨハネ5:14-15)をするべき? ・確かにその通りではある。しかし「みこころが分かるまで祈らない」よりも、「みこころはよく分からないけど、 とにかく祈る」ことの方が優っている。祈り続けるなら、やがて『みこころ』に近づいてくる。 ✰共に「祈りの答えをたくさん経験する教会」となって行こう!    Outline of the sermon    “Window of prayer is now open!” Read more…

2016年3月6日 ジャパンデーに参加

メッセージはありません この日は、年に1度の日本人コミュニティによるビッグイベント『ジャパンデー』に参加しました。1万5千人にのぼる大群衆の中でJCFとしての出店を出し、主を賛美するのは最高の気分でした。写真は当日の様子のほんの一部です。

2016年2月28日 「聖霊(キリストの心)」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「聖霊(キリストの心)」      (28/02/2016) *福音の中身 ― ④聖霊 [ヨハネ14:26] ◆『聖霊』とは? ― イエスの名によって、父なる神から遣わされる ・信じる者すべてに既に与えられており、私たちの信仰生活のカギを握っている。[Ⅰコリント2:12] ・「神から来る良きもの」の代名詞的存在。[マタイ7:11,ルカ11:13] ― *何故そう言えるのか? ◆聖霊の働き ◎人生で最も重要なもの = 神との個人的で親密な関係 ・『神との関係』において「神の心を察すること」は重要。でもどうやって?[Ⅰコリント2:15-16] ・私たちは、神に対する「真実の愛」の故に自分自身をささげることもできるし、逆にその「自己中心性」の故に 相手の心を拒むこともできる。これぞ究極の『自由意志(信仰)による選択』。 *神に対してNoと言うか?[エペソ4:30,Ⅰテサロニケ5:19] *それとも自分の欲に対してNoと言うか? [ガラテヤ5:16-17] ◆イエスの願い [ヨハネ20:20-21] ・「求めなさい!」[ルカ11:9-10, 13,ヨハネ7:37-39] ・「聖霊(の満たし)を求める」とは、何か「奇跡的なことを行う力を求める」ということではなく、 本気で「神との親密な愛の関係を求める」ということであり、 「神が私たちに『最も与えたい』と思っておられるものを『他の何にも優って』求める」ということ。   Outline of the sermon        “The Holy Spirit.”    (28/02/2016) *What has God given us with Jesus? ― ④ Read more…

2016年2月21日 「永遠のいのち」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「永遠のいのち」      (21/02/2016) *福音の中身 ― ③永遠のいのち [ローマ6:23] ◆「永遠のいのち」とは? ・「死ぬ瞬間に与えられる」のではなく、既に与えられている。言わば私たちは今『2つのいのち』によって生かされている。 ・[ローマ6:23]で言われている『死』とは、「肉体の死」というよりはむしろ「神との断絶」を表している。 ・[エペソ2:1-2] ― この「不従順の子らの中に働いている霊(サタンとその手下たち)」の支配から、神の支配へと 私たちを取り戻すために、イエスは十字架にかかられた! *それ故、「永遠のいのち」とは… ①神との生きた関係 [ヨハネ17:3] ― それは日々豊かにされていく![ヨハネ10:10] ・唯一後の世に持って行くことができるもの。後の世では完全。しかし今の世でも体験することができる。 ・ただ、この世にあっては多くの妨害(「この世のいのち」の魅力)がある。[ヨハネ12:25] *神を深く知るごとに「この世の魅力」はかすんで行く。「空いている時間をどんなことに費やすか」がカギ。 ②イエス・キリストご自身[Ⅰヨハネ5:11-12,20] ― 心に迎え入れた時以来、私たちの内に住まれる『内なるキリスト』。 ・言い換えるなら「キリストがこの世で生きられたいのち」。「この世を愛する人々」から迫害されたいのち。 「父なる神にのみ希望を置く」いのち。御父のみこころをひたすら求め、それに生きるいのち。[ヨハネ4:32-34] ・あの『史上最高の生涯』を送られたイエスが、今度はあなたを通してこの地上を生きられる。 これほどエキサイティングなことがあるだろうか?! まとめ *「永遠のいのち」とは… ①神との生きた関係  ②イエス・キリストが歩まれたいのち   Outline of the sermon        “Eternal life.”    (21/02/2016) *What is “Good News”? ― ③ Eternal life. [Romans 6:23] Read more…

2016年2月7日 「罪と罪責感からの解放」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「罪と罪責感からの解放」      (07/02/2016) ◆人生で最も大切なもの = 「神との親密な関係」 ・これを妨げるもの ― 神の側にとって:私たちの『罪』, 私たちの側にとって:『罪責感』(罪の咎め) *イエス・キリストは、これらの両方を解決するために十字架にかかられた![イザヤ53:5] 1 私たちはイエス・キリストによって「神の前」に『罪なき者』とされた。[ローマ8:1] ・『罪』とは、「ルールに違反すること」ではなく、「誤った信仰による態度」。[ローマ14:23] ・私たちが『罪なき者』とされたのは、ただキリストの贖いのみわざによる。[ローマ3:23-24, Ⅱコリント5:21] *一体何の得があって神はそんなことをされたのか? ― 何よりも「私たちとの関係の回復」を望まれたから。 2 神はご自身の子供たちが『罪責感』から解放されて、いつでもどこでも大胆に御前に出ることを望んでおられる ・悪魔の神の民に対する攻撃は「罪を犯させること」よりはむしろ「神との交わりを妨害すること」。主イエスが罪 の贖いを成し遂げてしまった今、悪魔は私たちの内側にくすぶる『罪責感』を突くしかない。 ・これに対し神は「たとえ自分では『汚れている』と感じても、信仰によってわたしの光の中に出なさい!」と招く。 『信仰』とは、「自分がどう感じるか」ではなく、「神が何とおっしゃっているか」を基準に判断すること。[Ⅰヨハネ1:7-9,3:20] *じゃあ、罪を犯し続けてもいいのか? ― 答えは、『YES』。 ・ただ、『神との関係』が深まるにつれて、私たちはやがて罪を憎み、罪から離れて行くようになる。 まとめ ①神は、あなたの過去・現在・未来すべての罪を赦し、忘れてくださった。もはやあなたは、神にとって 『完全な愛の対象』でしかない! ②神は、あなたが「罪の汚れにまみれている」と感じるままで御前に出てくるのを待っておられる。神の目 には、それらの汚れは既に洗われており、あなたも「自分自身から神の御顔へ」と視線を移す時、それら の汚れは純白の衣で覆われる。[黙示録7:13-14]   Outline of the sermon        “Be free from Sin & Guilt.”    (07/02/2016) ◆What is the most important in our lives? = “Intimacy Read more…

2016年1月24日 「神の子とされた!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の子とされた」      (17/01/2016) *福音の中身① 「キリストにあって『神の子』とされている」![ガラテヤ3:26] ◆「神の子どもとされる」とは? ・旧約聖書における神とユダヤ人との関係とは全く違う、後の世まで続く『永遠の愛の関係』。[ヨハネ1:11-13] ◆父なる神が、その子供たちにしてくださる2つのこと ①その必要をすべての良きもので満たす [マタイ6:25-26] ・神はご自分の子供たちを特別に扱われる。私たちがひもじかったり、暗く沈んでいることを望まれない。 ・神は「物質的な必要」と「内面的な必要」の両方を『ご自身の良きもの』で満たしてくださる。 ②成長を助ける ― キリストに似た者と変えていく(御国の住人として整える) ・神は「私たちの努力」によるのではなく、『信仰による応答』を用いられる。 ・主な2つのもの(「聖霊の働き」と「試練」)によって。[へブル12:6-8, 10] ― 『聖霊』については、また後で ・いつまで? = 霊的な『大人』とされるまで。 成長の度合いは人によって異なる。 ・『訓練』は、「子供のポテンシャルを最大限に引き出したい」という、子に対する父親の愛情表現。 ◆[ヨハネ15:16] ・私たち1人1人がイエスを通して「子とされるため」に選ばれたのは・・・     ①人生において「いつまでも残る実」を結ぶため  ②そのための必要を父に求めて受け取るため ・ただじっと『現状維持』を保って、私腹を肥やすためではない! ✰私たちは、イエス・キリストによって神の子供とされ、イエス・キリストによってそれぞれの人生へと 遣わされ、イエス・キリストによって必要を与えられながら、いつまでも残る実を結んでいくのです!   Outline of the sermon      “He made us children of God!”  (17/01/2016) *What has God given to us with Jesus?  Read more…

2016年1月17日 みつるくんの証し

みつるの証しをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「みつるの証し」      (17/01/2016) ◆エゼキエル3:1~6 その方はまた、私に仰せられた。「人の子よ。さあイスラエルの家に行き、わたしのことばのとおりに彼らに語れ。わたしは あなたを、むずかしい外国語を話す民に遣わすのではなく、イスラエルの家に遣わすのだ。あなたを、そのことばを聞いて もわからないようなむずかしい外国語を話す多くの国々の民に、遣わすのではない。もし、これらの民にあなたを遣わすな ら、彼らはあなたの言うことを聞くであろう。 ◆ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。 ◆ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅び ることなく、永遠のいのちを持つためである。 ◆Ⅰヨハネ4:9~10 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示 されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を 遣わされました。ここに愛があるのです。 ◆ヨハネ14:23~24 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を 愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。 あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。       Outline of the sermon      “Mitsuru’s testimony.”  (17/01/2016) ◆Ezekiel 3:1~6 He then said to me: “Son of man, go now to the people of Israel and speak my Read more…