(539) “盗人(悪魔を指す)が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたし(キリスト)が来たのは、羊たち(私たちを指す)がいのちを得るため、それも豊かに得るためです。”

 人間には生来の『基本的な欲求』があります。①睡眠欲②食欲③性欲です。これらは私たちが健康な人生を送るために神様があらかじめ備えてくださった欲求であり、これらの1つでも正しく機能しなくなると人生に支障をきたします。  ところが残念なことに、悪魔はたびたびこれらの私たちの『欲』を刺激し「必要以上に」もしくは「不健康な形で」これらの『欲』を用いさせようとします。いわゆる『貪欲』というものです。私たちに「惰眠」を貪らせたり、「暴飲暴食」をさせたり、「結婚関係以外のセックス」によって肉体的にも精神的にも私たちの人生を破壊しようとするのです。  何故私たちはしばしばこのような『悪魔の誘惑』に屈してしまうのでしょう?それは、私たちの心の奥深くにある『霊的欲求』が満たされていないからです。腹ペコの時にレストランのメニューを見るとどれもが魅力的に見えてしまうように、私たちの『心』が「真に満たされるべきもの」によって満たされていないと、不必要なものを求めるようになってしまうのです。  それでは「私たちの心を真に満たしてくれるもの」とは何なのでしょう?それは、私たちの創造主である『神との関係』です。私たちの心の奥深くには、「神によってしか決して埋めることのできない空洞」があって、この『神との関係』に結ばれるまでは、それを別のものによって埋めようとどうしてももがいてしまうのです。それは『お金』であったり、『名誉』であったり、『異性』であったりします。これらのものを「一時的」には私たちの心を満足させてはくれますが、真の解決にはなりません。  私たちは皆、天地万物を造られた『創造主なる神』によって綿密にデザインされており、「この方との関係に結ばれることなしには決して満足することができない存在」として造られているのです。

2023年8月13日 「Temporary vs Permanent」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「Temporary vs Permanent」   (13/08/2023) [へブル人への手紙 8章1~6節] ◆『永遠の大祭司』イエス(1~2,4~5節)   ・地上の祭司たちは「天の写し」に仕えているにすぎない。しかしイエスは『永遠の大祭司』として「まことの幕屋・聖所」で仕えている。いわば「Temporary」と「Permanent」。   ・「神がモーセに命じられた『幕屋』」というものは、出エジプトの時代に造られた可動式のもの。後に壮大な『エルサレム神殿』がソロモン王によって造られた。これもいわば「Temporary」と「Permanent」。   ・しかし実際は「Permanent」と言っても『永遠』ではない。本物の「永遠の神殿」は、『神ご自身』。[黙示録21:22] そして私たちは本来、この『永遠の住まい』に生きるようにデザインされている! ◆「永遠の関係」のために造られた   ・私たちは「何かをする(活動の)ため」に生まれてきたのではなく、「関係に生きるため」に生まれてきた。地上においては「家族・友人・その他」、そして究極的には『神との永遠の関係』のために。   ・悪魔はいつも「Temporary」な魅力によって私たちを誘惑し、「神との関係」という真の魅力から目を離させようとする。悪魔に騙されないように、いつも「みことばと祈り」を通して『本物』すなわち「神との交わり」を味わおう! ✰今週のチャレンジ: 永遠に保つ『神との関係』に、日々魅了されていますか? ◎更に深い学びのために  ①私たちの人生において、「Temporary」なものと「Permanent」なものは、それぞれどんなものがあるでしょうか?  ②私たちは「どんなことのため」に生まれて来たのでしょう? また、どうしてそう言えるのでしょうか?  ③「Temporary」な魅力に惑わされることなく、いつも『神との関係』に留まるために、どんなことができるでしょう? Outline of the sermon    “Temporary vs Permanent.”    (13/08/2023) [Hebrews 8:1~6] ◆Jesus, our priest forever.(Verses 1~2,4~5)   ・Levitical priests were only Read more…

(538) “なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが1つになって、ともに生きることは。”

 人生で味わえる最高の喜び(醍醐味)は、何と言っても「深い信頼と親密さによって結ばれた人間関係」だと思います。ところがこれは「誰もが願っているもの」でありながら、「ほんのわずかな人たちしか経験していないもの」であるとも言えるのではないでしょうか?一体どうしてそうなってしまうのでしょう?きっとその大きな原因の1つは「相手に信頼を置き過ぎてしまったなら、万が一裏切られてしまった時に受ける傷が大きすぎる」という『恐れ』があるからではないでしょうか?  天地万物の創造主である神様は、私たち人間をお造りになる時に「自分に似るように造った」と聖書に書かれています。もちろんそれは『姿かたち』のことではありません。私たちと神様との大きな共通点の1つは、「関係性を求める」という点です。神は何よりも「私たち1人1人との個人的な関係」を求めておられます。それは何も「ご自分の満足のため」ではなく、その関係が「私たち人間同士の関係をより豊かで堅固なもの」にするということを知っておられるからです。  私たちが『神様との個人的な関係』に結ばれる時、私たちの心の深い部分に、言葉では言い表すことのできない深い『平安』が生まれます。それによって、他の人々を信頼しやすくなります。言わば「恐れから解放される」のです。そして皆さんも経験があるように、人は誰でも他の誰かから信頼されると「この人の信頼に何としても応えたい!」という気持ちが芽生えます。神様はこのようにして、この地を『人と人との信頼』でより美しいものにしたいと望んでおられるのです。

(537) “苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。”

 「苦しい時の神頼み」という言葉があります。この言葉は何となく「神様は苦しい時にだけ必要な存在」というイメージを与えますよね?実際、物事が順調に進んでいる時は人間は『神』という存在をあまり意識しないものなのかもしれません。しかし私たちがどんな状況にいる時でも、神は変わらず『神』として存在し、私たちがご自身と関わろうとすることを待っておられます。  このことは「親子関係」と似ている部分があるかもしれません。親はいつでも「子供のためによかれ」と思っていろいろと手をかけるのですが、子供はそれらの良いことをついつい『当たり前』と思ってしまい、たまに自分には手に負えない局面(お金が足りなくなったり…)などに出会うと、急に猫撫で声になって親におねだりするわけです。  聖書は私たちに「苦しい時に神に祈る」だけではなく、「良いことがあった時には、神に賛美や感謝をすること」を勧めています。「神のしてくださったことを、何1つ忘れるな!」と教えている箇所もあります。辛い時や悲しい時に、つい「神様の存在を疑ってしまうこと」があるかもしれません。そんな時、「神様が今までにしてくださったたくさんの良いこと」を思い起こすことは、私たちの心をもう1度奮起させる起爆剤になるに違いありません。

2023年7月23日 「大祭司としてのキリストの卓越性」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「大祭司としてのキリストの卓越性」   (23/07/2023) [へブル人への手紙 7章20~28節] ◆『神の誓い』によって立てられた(21~22節)   ・神が「誓われる」とは、どういうことか?神は『契約の主』であり、自由に契約を変更する権利があるにもかかわらず、「ご自身の真実さ」と「私たちへの誠実さ」の故に、決して契約を変更することなく、必ず成就なさる。ここに父なる神の驚くべき「恵みと謙遜」が現されている。   ・またイエスは「契約の保証」となられた。すなわち「私たちと御父との『仲介人』」となってくださっただけでなく、私たちがキリストを救い主として受け入れた瞬間から永遠に至るまで、いつも「私たちと御父との妨げられることのない関係の『保証人』」となってくださるのである! ◆永遠で完全な大祭司(24~25節)   ・民のために不完全ないけにえを繰り返しささげていた祭司たちと違って、主イエスは私たちのために、ご自身を「たった1度だけの罪のない完全ないけにえ」として献げてくださった。しかもキリストは今も(永遠に)生きておられ、弱く不完全な私たちのために、日々御父の前にとりなしておられる。彼は今日も「ご自身によって神に近づく者」を完全に救うことができる。この方こそ、私たちが全幅の信頼をおくことのできる『人生のパートナー』なのだ! ✰今週のチャレンジ: あなたはキリストに、日々どれほど注目して生きていますか? ◎更に深い学びのために  ①主イエスはどのような点で「卓越した大祭司」と言えるのでしょうか?  ②何故神は、ご自身の『契約』に対して、わざわざ自ら「誓われる」のだと思いますか?  ③このような大祭司が与えられていることは、あなたの人生にどのような違いをもたらしますか? Outline of the sermon    “Jesus, an outstanding high priest.”    (23/07/2023) [Hebrews 7:20~28] ◆He was appointed with an oath of God.(Verses 21~22)   ・What makes God swears Read more…

(536) “わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。”

 あなたには『親友』と呼べるような親しい友がいますか?もしいるなら、それは素晴らしいことですね。ぜひその友情を大切にし、今後その関係が更に豊かにされますように。そして「そんな友はいない」という方、決して落ち込む必要はありません。何故なら「1人でいる時こそ、私たちは神との真に親しい関係を築くことができる」のですから。  イエス・キリストの公生涯の期間にはいつでも12弟子たちや群衆が周囲を取り巻いていましたが、聖書は「イエスは決してご自分を人々にお任せにはならなかった」と語っています。彼が本当に自分の心を許したのは『天の父なる神』おひとりでした。「じゃあ、イエス・キリストの人生はさぞかし孤独だったことだろう」と思われるかもしれません。確かにそういった面もあったでしょう。しかし逆に「この人がいてくれないと私は生きて行けない」というような対象を持ってしまうことも危険だと言えます。何故なら所詮「人は人」でしかなく、あなたが寄りかかるべき存在ではないからです。  人との豊かな関係は、私たちの人生に潤いを与え、喜びをもたらし、支えになります。そして「神との豊かな関係」は私たちの内面を豊かにし、人生の様々な局面に対処する知恵を与え、困難に立ち向かい、また人々を支え励ます力を与えます。そんな『神との関係』は、1人でいる時にこそ養われるものです。そしてそのような『神との豊かな関係』に生かされ、1人でいても輝いている人に、人々は引き寄せられて行くものなのです。

2023年7月16日 「もっとすぐれた希望」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「もっとすぐれた希望」    (16/07/2023) [へブル人への手紙 7章11~19節] ◆メルキゼデクに倣う祭司   ・メルキゼデクは、レビ人から祭司を任命するようにと律法が定めるずっと以前に「いと高き神の祭司」として仕えていた。これは、神がイスラエルの民に律法を与える前から「律法に優るもの」を意図していたことを示す。   ・そもそも『祭司』には「神と人とを仲介する」という役割があるが、このことを究極的に成し遂げたのは『イエス・キリスト』。[Ⅰテモテ2:5-6] 旧約聖書の時代と、それ以降の『祭司職』を比較すると下記のようになる。     祭司職 = レビ人(不完全) ―― 律法による    永遠の(メルキゼデクに倣う)祭司 = イエス・キリスト ―― 新しい律法 ◆「肉の律法」から「御霊の律法(法則)」へ(ローマ8:3-4)   ・『律法』と聞くとつい「守るべきルール」をイメージしてしまうが、本来『律法』とは『文字』ではなく、「神のみこころ」である。そして『御霊』は「文字通りに律法を守らせようと働く」のではなく、「神が本来願っている存在(キリストの似姿)へと、私たちを造り変える」のである。[Ⅱコリント3:18]   ・「内に住まわれる御霊」を見失うことなく(Ⅰコリント3:16)、互いに励まし合いつつ、『来たるべき日』を待ち望もう! ✰今週のチャレンジ: 『神の御霊』が内に住んでおられることを忘れていませんか? ◎更に深い学びのために  ①メルキゼデクが、民に律法が与えられる前から「いと高き神の祭司」として仕えていたことは何を示しますか?  ②『律法』とは、本来何を示すために与えられましたか? 『聖霊』と『律法』の働きの共通点と相違点は何ですか?  ③「恵みの時代」に生きる私たちが気を付けるべき点は何でしょう? そのためにどんな対策が考えられますか? Outline of the sermon    “A better hope.”    (16/07/2023) [Hebrews 7:11~19] ◆A Read more…

(535) “あなたの目が前方を見つめ、まぶたがまっすぐ前を向くようにせよ。”

 現代ほど『行動』へと追い立てられている時代はいまだかつてなかったのではないでしょうか?「今すぐ行動を起こさなければ間に合わない」「今行動しなかったら、きっと一生後悔する」などなど、大変もっともらしく聞こえますよね?『石の上にも三年』などということばはもう流行らないのでしょうか…  聖書は「行動的であること」を勧めてはいますが、それ以上に「行動の的を絞ること」を奨励しています。現代のようにSNSが普及した時代は、私たちは容易に「不必要なほどのあふれるような情報」に翻弄されてしまいます。この事実は私たちが「本当に大切なこと」に十分な時間を費やすことなく、ただただ「量をこなすこと」に引っ張らてしまうことを意味しています。  1つお尋ねします。あなたの行動パターンは『正しい優先順位』に基づいていますか?「簡単なことから片づける」「緊急なことから対処する」という人が多いかもしれません。しかし『正しい優先順位』とは、「あなたにしかできない、本当に大切なこと」をいつも第1優先にするということなのです。神は私たちをそれぞれユニークにお造りになりました。神は私たち1人1人に「ぜひとも成し遂げて欲しい」と思っておられることをお持ちなのです。それを後回しにして、他の「第2優先以下のこと」にどれだけの時間を使ってベストを尽くしたとしても、あなたは『自己最高の人生』を生きているとは言えません。  私たちの模範である『イエス・キリスト』は、「人々の必要を知るために、人々と共に時間を過ごし」ましたが、「人々の必要を満たすために、神と共に時間を過ごし」ました。周囲の雑音に惑わされることなく、まず祈りによって神と十分な時を過ごし、『最も大切なこと』に十分に力を注いで、神と人とを喜ばせる歩みをして行きましょう!