2020年9月13日 「思い煩いからの解放」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「思い煩いからの解放」(13/09/2020) ◆思い煩わなくていい![Ⅰペテロ5:7]   ・「全てに優って力があり、恵みと憐れみに満ちた神」が、私たちを深く愛し、最善をなされる。一体何を思い煩うことがあろうか?『思い煩い』の原因は、これらのことに関する無知、または単なる不信仰。[マタイ6:25-32]   ・ある人々は「もっと物がいっぱい貯まったら、思い煩いは減る」と思っているが、それはむしろ逆! ◆神が私たちの味方 [ローマ8:31-32,詩篇118:6-7]   ・まず自分自身が、この「神が私たちを心にかけてくださっている」という驚くべき祝福を満喫する。肩の力を抜いて、主の前にへりくだり、主に委ね、『主の時』を待つ。[Ⅰペテロ5:6-7]   ・そしてこれを自分自身で体験的に学んだなら、今度はそれをまだ知らない(体験していない)人たちに知らせる。これが『天国人』に期待されていること。   ・クリスチャンたちは、心のどこかで「自分たちの携えているメッセージは、周囲の人々に受け入れてもらえないのでは?」と思い込みがち。大切なのは「受け入れてもらえるかどうか」ではなく、「私たちが受けた祝福は、他の人々にとっても大きな価値があるもの」だと気づくこと。全ての人は『心の平安』を求めている! ✰今日のキーワード: 神が私の用心棒 ◎学びを深めるための質問  ①『思い煩い』の源は何だと思いますか? 私たちはどうやってそこから抜け出すことができるでしょうか?  ②世の人々はどのように『思い煩い』から免れようとしていますか?何故その方法ではうまく行かないのでしょう?  ③『思い煩い』を抱えて悩んでいる人々に、あなたは『天国人』として、どのようにアプローチできるでしょう? Outline of the sermon        “Be free from anxiety!”      (13/09/2020) ◆Do not be anxious about anything![ⅠPeter 5:7]   ・Almighty God who is full of “power, love Read more

(406) “たとえ死の陰の谷を歩むとしても…”

 神を信じて生きようとするか否か迷う1つの要因に、「もし神が本当にいるのだとしたら、何故……のようなことが起こるのか?」という問いがあると思います。『God is not dead』という映画でクリスチャンの青年に対し挑戦的な態度で応じる「無神論者」の哲学の教授は、敬虔なクリスチャンの母親に育てられながら、その母親が晩年に病で苦しみながら死んで行った様子を目の当たりにして、「神なんかいるものか!」と結論づけていました。私はキリスト教の牧師ですが、「神が本当に恵み深いお方であるなら、どうしてこのようなことが起こるのか?」と問わずにはいられない時が確かにあります。ある意味現在起こっている、この「コロナウイルスによるパンデミック」もその1つだと言えるでしょう。  ただここで忘れてはならないのは、聖書が私たちに教える『人生観』は、「…だから」の人生観ではなく、「…にもかかわらず」の人生観であるということです。神が私たちを愛されるのは、「私たちが愛らしいから」ではなく、むしろ「私たちには愛しにくい点が数多くあるにもかかわらず」愛されるのです。それは神ご自身のご性質が『愛』だからです。神は私たちが「良い人間」であろうが「悪い人間」であろうが、ひたすら私たちを愛さずにはいられないお方なのです。  聖書は「神は私たち人間を『神のかたち』に造られた」と述べています。私たちは本来、神と思いを共有させながら、神と「心を1つとされて」生きるべき存在なのです。ですから、もし神が「…だから」の神ではなく、「…にもかかわらず」の神であるなら、私たちも「こういうことが起こったから神を信じる」のではなく、「こんな状況であるにも関わらず神を信じる」という姿勢が期待されているはずです。  以前「神様、あなたはご自分のなさっていることが分かっておられるのですか?」というタイトルの本を読んだことがあります。その本の内容は、著者が直面した数々の困難や試練の経験が綴られていましたが、そこからは著者の神に対するあふれんばかりの純粋な信仰が感じ取れました。すなわち「神を信じるか否か」は、人生に起こる様々な出来事によって左右されるのではなく、「自分の心を神に向けようとするか否か」にかかっているのです。

2020年9月6日 「生ける水」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「生ける水」 (06/09/2020) ◆いのちの水 ― この地上で生きるために、私たちにとって『水』は欠かせない。   ・私たちが『天国人』として地上にもたらす「神の国の祝福」の1つは、この『水』。天国にも『水』がある?![黙示21~22章]   ・そして主イエスも、「いのちの水」「生ける水」についてしばしば言及した。[ヨハネ4:7-15]   ・この世が提供するものは、どんなに魅力的だとしても「一時的」。しかし神が御子イエスを通して私たちに与えてくださるものは「永遠に保つもの・あふれるいのち」。それは「神のいのち」である『神の御霊』。 ◆生ける水の川 ― 聖霊。[ヨハネ7:37-39]   ・世が提供するものでは癒すことのできない『渇き』がある。そしてイエスはその『渇き』を癒すために来られた。   ・この「生ける水の川 ― 聖霊」は、私たちがこの世にあって受け、天国に持って行ける唯一のもの。しかし「この世」はこれを理解できない。[ヨハネ14:16-17]   ・神がご自身を遣わされたように、イエスは私たちを遣わされる。[ヨハネ20:21-23] それは私たちを通して「生ける水・聖霊」をあふれ流れさせるため。私たちが伝える福音は、相手の人生の『永遠』に影響をもたらす! 渇く者は、求め、受けなさい![黙示録22:17] ✰今日のキーワード: 生ける水の川 ◎学びを深めるための質問  ①この世が提供するものでは決して満たすことのできない『渇き』にどんなものがあるか、話し合ってみましょう。  ②イエスはどのようにそれらの『渇き』を癒されましたか?またあなたは同様の「渇きの癒し」を体験しましたか?  ③あなたは自分の内にある「生ける水の川」を日々実感していますか?していないとしたら、何が原因でしょう? Outline of the sermon        “Living water.”      (06/09/2020) ◆The water of life. ― “Water” is more than necessary Read more

(405) “イエスは立ち止まって…”

 イエス・キリストとその一行がある町に向かっている途中、町外れで物乞いをしている盲人がいました。この盲人はイエス・キリストが近くを通って行くのを知ると、人々が止めるのも聞かずに声の限りにイエスを呼び求めました。イエスはこの声に気付いて立ち止まり、「自分の目を見えるようにして欲しい」という彼の訴えを聞き入れ、彼の視力を奇跡的に回復させてくださいました。  私たちには、このキリストのように『奇跡を起こす』ことはできないかもしれませんが、自分を必要としている人のために『立ち止まる』ことはできるのではないでしょうか?  現代は『スピード社会』と言われます。3分でできるカップヌードルや、1分で温められる電子レンジ、物事が分刻みで進んで行く世の中です。そのような社会で暮らしている私たちは、知らず知らずのうちに『待つこと』が苦手になり、いつの間にか歩くのも早足になり、他人に呼び止められても「自分のこと」で頭がいっぱいになっていて「立ち止まる」ことができなくなってしまっています。  ぜひもう1度、日々の自分の活動を振り返ってみましょう。「本当にどうしても今日中にこなさなければならなかったこと」が一体どれほどあったでしょうか?「できるだけたくさんの量をこなすこと」を目標にする代わりに、「できるだけ無駄なことを省いて『時間と心の余裕』を持つこと」を心がけてみてはどうでしょうか?そうすると、イエス・キリストが彼を求めている人々の必要に答えられたように、あなたを求めている人々(家族・友人とか?)の必要に答えることができ、もしかしたら『小さな奇跡』も体験できるかもしれませんよ。

2020年8月30日 「神に受け入れられた者として」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神に受け入れられた者として」(30/08/2020) ◆神との平和 ― 天国人である私たちには、『義なる神』との平和が与えられている![ローマ5:1]   ・私たちは完全に「神の愛の対象」。私たちの罪に対する神の怒りは全て「十字架のキリスト」にぶつけられた。― キリストの十字架は、「神の愛の象徴」であると同時に、「神の義の象徴」でもある。   ・私たちが神に完全に受け入れられているのは「私たちが良い子だから」ではなく、キリストを信じたことによって「キリストの内にいる」から。キリストは今日も聖徒たちのためにとりなしてくださっている。[ローマ8:34, 38-39] ◆神の国の祝福を地にもたらす ― 「互いに受け入れる」ということを通して。[ローマ15:7]   ・世には様々なタイプの人がいる。それは教会の中でも同様。私たちは「自分と違うタイプの人」をさばいたり見下したりしてしまいがちだが、天国人はそのような人々をも受け入れることができるようになる。それは「努力して自分の度量を広げることによって」ではなく、「自分がキリストの故にどれほどに神に受け入れられ、愛されているのかを十分に体験することによって」。[ローマ14:1-3]   ・このような「互いに受け入れ合う」というキリストの愛の性質がJCFの中で実現され、JCFが『神の国の祝福』で満たされて行くなら、それは必ずJCFの外へも自然に流れ出て行くようになる。 ✰今日のキーワード: カッコつけなくていい ◎学びを深めるための質問  ①『キリストの十字架』が単に「神の愛の象徴」ではなく「神の義の象徴」でもあるということを再度確認しましょう。  ②「神との平和」はどうやって与えられましたか? あなたはそれを日々どれほどに実感し、感謝しているでしょう?  ③「違ったタイプの人」を受け入れる根拠は何ですか? あなたはそれをどうやって実践していこうと思いますか? Outline of the sermon      “As God accepted us.”    (30/08/2020) ◆Peace with God. ― We have “Peace with God of Read more

(404) “主が良くしてくださったことを何1つ忘れるな。”

 「私たち人間に対する『神のみこころ』って何だろう?」と考えたことはあるでしょうか?私はクリスチャンになりたての20代の頃、よくこのことを考えていました。そして『神のみこころ』とは、「どんな職業に就くべきか?誰と結婚するべきか?」などの『特別な決断』に関わることだと思っていました。しかし聖書を読んでいくうちに分かってきたことは、はっきりとした『神のみこころ』のうちの1つは「神に感謝すること」だということです。  子供が誰かからプレゼントをもらった時などに、そこに居合わせた親がその子に「ホラ、こういう時は何て言うんだっけ?」などと『お礼』を言うことを強制する場面を見たことはないでしょうか?どこの親も自分の子供に『感謝の心』を忘れない人間に育ってもらいたいと思っているようです。私たちの『天の父』も同様に、私たちが「感謝する人」になることを望んでいます。神様は決して私たちから遠く離れたところにおられる方ではありません。神はいつも私たちのすぐ側におられて、私たちの人生をご自身の良きもので満たしてくださっています。毎日太陽を昇らせ、酸素を与え、美しい自然で取り囲み、食物を与え、新しい出会いやきっかけを与え、1日の終わりに眠りを備えてくださいます。1人1人の日常に起こる細かいことを描写していたら、とてもこの紙面では書き切れません。  聖書は「すべてのことに感謝しなさい。それが神があなたに望んでおられることです。」と勧めています。私たちが『当たり前のこと』と言って見過ごしてしまっている物事の中に、実は「神のみわざ」が満ちているのです。「神様なんて存在しない!」と思っているアナタ、ぜひ今日1日よぉく目を開いて「感謝できること」を探してみてください。もしかしたら、いないと思っていた神様を見出すきっかけに遭遇するかもしれませんよ?

2020年8月23日 「天国人が目指すもの」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「天国人が目指すもの」    (23/08/2020) ◆天国人の役割 ― 「天の御国」と「この世」とをつなぐ『架け橋』として生きる。  *『架け橋』の2面性 ⇒ ①神の国の祝福をこの世にもたらす ②この世において神がたたえられるようにする。   ・『神の国の祝福』とは? = 永続的なもの。(神との生きた関係,状況に左右されない喜び・平安など) これらのものをこの世にもたらすために不可欠な資質。= 「この世のもの」に執着しない。[Ⅰヨハネ2:15-17] ◆天国人の存在意義 [マタイ5:13-16]   ・『塩』は「味付け」や「防腐剤」のために有用だが、どちらの場合も「よく混ざらなければ」ならないし、また「その異質さを保たなければ」ならない。― 「純粋による埋没」。   ・私たちが『天国人』であることの証は、「自分はクリスチャンだ」と宣言することによって表現されるのではなく、「世にありながら、世とは異質である(聖い)こと」によってこそ現される。   ・「人々が私たちの良い行いを見て、天の父をあがめる」ようになるのは、その『良い行い』の動機が『天の父』に向けられたものだから。そのためには「人との関係」以上に「神との関係」がより親密である必要がある。 ◎注目されるべき存在は、アナタではなく、天の父なのです! ✰今日のキーワード: 「異質さを保つ」 ◎学びを深めるための質問  ①私たちが地上で『天国人』として生きる時に、「この世」と「天の御国」それぞれにどのような益をもたらしますか?  ②あなたにとって「地の塩として生きる」ということは、具体的にどのように生きることだと理解していますか?  ③どうすれば「私たちの良い行い」を通して、『私たち』ではなく『天の父』があがめられるようになるのでしょう? Outline of the sermon      “What are we aiming for?”    (23/08/2020) ◆Role of “citizens of heaven”. ― Read more

(403) “自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。”

 20世紀初頭に大変活躍した「マリアン・アンダーソン」というアメリカ人女性歌手がいました。彼女は世界中を股にかけて活躍し、ルーズヴェルト大統領の時代にホワイトハウスに招かれて歌ったり、イギリスのエリザベス女王の前で歌ったりもしました。そんな彼女が、ある時の記者会見で「あなたの歌手人生の中で、もっとも光栄に感じた瞬間をお聞かせください」と問われ、記者たちが固唾をのんでコメントを待っていると、彼女は顔を輝かせながらこう答えたそうです。「歌手として最も光栄に感じた瞬間、ええ、それは今でもはっきりと覚えています。それは私がオーディションに合格して、歌手としてスタートできると分かった時に、自宅まで走って行って、『お母さん、もう明日から他の人たちの洗濯物をしなくてもいいのよ!』と伝えた時です。」  私たち人間は皆、基本的に『自己中心的』です。まず自分自身の状況が整ってから、ようやく他の人の事を考え始めるものです。しかし実際は「他の人のために役立っている」と感じられる時の方が、自分の事ばかり考えている時よりもずっと喜びと充実感を得られるのです。そして「生まれながらの性質」を改めるためには、それなりの『訓練』が必要です。元来の臆病な性質を変えたければ、訓練によって勇敢さを身に付けなければなりません。生まれつき否定的に物を考えてしまう人は、肯定的な考え方ができるよう意識の変革が必要です。同様に「自己中心」な私たちは、他の人の事を思いやることを意識的に学ばなければ、いつまでたっても自己中心なままになってしまいます。  キリストは「神のご性質」を持った存在であったにもかかわらず、人の姿になって現れ、それだけではなく、私たちの間で『仕える者』のように振舞われました。それは本来私たちも「他の人の最善のために仕えること」を喜びとするように造られていることを思い起こさせるためだったのです。神が私たちに『自己最高の人生』を送ることができるように助けることを喜びとされているように、私たちも「他の人が必要としている助けを与えること」を通して、より大きな喜びや満足を経験することができるのです。  ぜひ今日から「自己中心な自分」を「他の人の必要に仕える存在」へと変える訓練を、イエス・キリストと共に始めてみませんか?

(402) “私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

 あなたは自分のことが好きですか?私は十代の頃、自分のことがあまり好きではありませんでした。特にこれといった確固たる理由があったわけではないのですが、割と周囲に流されるタイプだったし、周りの意に添うように自分自身の本音を隠してしまう傾向があったからかもしれません。本当はもっと「自分の気持ちに正直に」生きたいと思っていたのだけれど、それで他の人に受け入れてもらえなかったらどうしよう…、という不安があったのだと思います。  20歳の時に、クリスチャンの友人を通して「イエス・キリスト」という方を自分自身の救い主として受け入れ、私もクリスチャンとして歩み始めました。そうしたら、いつの間にか自分の事を大好きになっていました。もちろんこれを『神様のみわざ』というひと言で片づけてしまうこともできるのですが、当時の自分を振り返って思い出してみると、その具体的な要因としていくつかの「内面的な変化」に思い当たります。 ①自分自身を『神の作品としての存在』と自覚するようになった。このことは私に「自分は自分らしく生きることに価値がある」ということを確信させました。そして本当に方の力が抜けました。無理に「誰かと同じように」ふるまう必要がないということは(特に日本人にとって?)大きな解放を与えてくれます。 ②絶対者による無条件の愛を受け取った。これは「もはや誰のご機嫌を取る必要もない」ということを意味していました。たとえ世界中の人々が自分のことを嫌いになったとしても(まあ、そうならないことを願いますが…)、最も偉大な方は私を決して嫌いにならないし、見捨てたりもしない。この安心感(心の平安)は何にも代えることができません。まあその数年後に素晴らしい妻と結婚し、目に見える形で『自分だけを専門に愛してくれる存在』が与えられたことも大きな助けになっていると思いますが。 そして③内なる聖霊の働きによる変化。イエス・キリストを救い主として受け入れた瞬間から、『聖霊なる神』が私の心の中に宿ってくださっています。彼は私も気付かないような形で日々私を造り変えてくださっています。そのために上記のような変化は、イエス・キリストを信じてから30年以上経った今振り返って、ようやく自覚されるようになりました。  神様は私たち1人1人が『ご自分の作品』として喜んで生き生きと日々を生きて欲しいと願っておられます。そのために私たちが「自分を大好き!」と言えるように造り変えようとしておられるのです。