(438) “わたしの目には、あなたは高価で尊い。”

小学生のころ、私は図画工作というものが苦手でした。特に嫌いだったわけではないのですが、まあいわゆる『下手くそ』だったんですよね。いろいろとアイディアを考えて、自分なりに一生懸命に制作するのですが、出来上がった作品は、他の生徒たちのものと比べて何となく「見劣り」してしまって、よくガッカリしたことを覚えています。 ところが面白いことに、(当時は作品の出来不出来に関わらず、完成した後全ての作品はしばらくの間教室の後ろに並べてあったのですが…)なんて言うか自分の作品が愛おしく感じて、しょっちゅう観に行っていました。「こうして観るとまんざら悪くないじゃないか」なぁんて思ってみたりもして、ともかく作品そのものの見た目とは関係なく、『自分の作品』というだけで愛着が湧き、何となく誇らしく感じたのでした。 聖書は「あなたがたは神の作品である」と教えています。そして全知全能である神様は、いわゆる「いい加減な作品」はお造りになりません。全てが『傑作品』なのです。それはアナタも私も例外ではありません。ところがそんな『傑作品』である自分自身をそんな風に思えないことは多々ありますよね。「自分はあの人のように格好良くないし、いろんなことができるわけじゃないし、持っている物もわずかしかないし…」と、そんな風に思ってしまうのが普通だと思います。 でも、ぜひ次のことだけは決して忘れないでください。アナタをお造りになった神様は、心を込めて、ご自身の全精力を傾けて造ってくださったのだということ。だからこそ、他の誰が(自分の心も含めて)何と言おうと、アナタは神にとって「この上なく愛おしくて価値ある存在」なのです。この神との個人的な出会いを通して、私たちは自分自身の『真価』を知り、希望と誇りを持って、明日に向かって生きて行くことができるのです。