(291) “知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし愚かな者はこれをのみ尽くす。”

『クレジットカード』なるものは便利ではありますが、使い方を誤るととんでもないことになります。「誤った使い方」とはどんなものかというと、簡単に言えば「必要ではない物を、今持っていないお金で買うこと」です。ちょっと聞いただけで『愚か』であることがすぐに分かるのですが、それを実現可能にしてしまったのがこの『クレジットカード』なのです。 ではどうしたらこのような愚かさを避けることができるのでしょうか?この答えも実に単純です。①何かを買おうと思いついた時に、まず「自分にはこれが本当に必要であろうか?」と自問自答するのです。そしてもしそれが本当に必要であるという結論に達したなら、次に②「もうしばらくの間、それ無しに生活することができないかどうか?」と尋ねてみてください。恐らくこの①②両方の質問に対する答えが『YES』となる場合はほとんどないと思います。何故ならあなたは今日までそれ無しで暮らせてきたのですから… 神は、ご自身の愛する子供たちが貧困にあえぐことを喜ばれる方ではありませんが、私たちが「物質社会にまみれてご自身を忘れてしまうこと」も決して願ってはおられません。神は私たちに「必要なものをお与えになること」を喜びとし、しかも『一時的な喜び』を与えるよりも『永続的な満足』を与えるものを私たちのために用意しておられるのです。 もしあなたの脳裏に「そんなまわりくどいことをいちいちやってはいられない。クレジットカードで今それが買えるのに、どうして待たなければならないの?」というような考えがよぎったなら、あなたは既にクレジットカードの奴隷になりかけていますよ。くれぐれもお気をつけください。そのようなワナにはめて私たちの人生を破滅に導くことが『悪魔』の常套手段なのですから。

(290) “キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。”

英語環境での生活が長くなってくると「言葉が大きく文化に影響を与える」ということに気づかされます。1つの例ですが、日本語の『愛する』という語を表す『Love』は様々文脈で使われます。例えば「I love chocolate.」「I love this TV program.」などのように。これらを「私はチョコレートを愛している」とか「このテレビ番組を愛している」と訳したとしたら、それは正しい翻訳とは言えませんよね?けれども、このように『Love』という単語を気軽に使っていると、だんだん自分の日本語の意識の中でも「『愛する』って、それほど重要なことではないんじゃない?」というような錯覚に陥ってしまうのです。 明治時代の作家であり翻訳家であった『二葉亭四迷』はこの『Love』という単語を「あなたのためなら死んでもいいわ」と訳したと言われています。実は聖書における『愛する』という語は、そのような深い意味のある言葉なのです。 聖書は夫婦関係において、夫に対し『愛しなさい』と命じています。これをより分かりやすく、また実際的な意味に言い換えるならば「夫は妻が最高に輝いて生きることができるように、あらゆる犠牲を喜んで払いなさい」ということでしょう。そこには『自分本位』に生きる余地はありません。またこれは「妻こそ自分の最大の関心事であるべき」ということを表現しています。一体この世のどれほどの夫たちが、これらの原則の逆さまを生きていることでしょう。そしてその事実がそのまま「結婚生活の破局」があちこちに起こっていることに現されているのです。何と悲しいことでしょうか。 神が人間に『結婚』という祝福をお与えになったのは、私たちがそこに「他のものからは決して味わうことのできない至高の幸福感」を見い出すためです。そしてそれは可能なのです!それを日々味わっている私自身が証人です。世の夫たちよ。あなたの妻を本当の意味で愛することを、ぜひ今日から始めてください!

2018年2月4日 「『恵みとまこと』に満ちた神」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『恵みとまこと』に満ちた神」     (04/02/2018) ◆『恵み』と『まこと』  *イエスは「恵みとまこと(愛と真実)」に満ちている! [ヨハネ1:14, 17] ・恵み:相手がそれを受ける資格がないのにもかかわらず、一方的に惜しみなく注がれる愛情。 ・まこと:状況に左右されることのない誠実さ。ウソがなく、決して裏切らない。必ず約束を守る。 ◆「恵みとまこと」が期待するもの (神は私たちとの『関係』を求めておられる)    ①私たちの全き信頼 ・これこそ「恵みとまことに満ちた神」が私たちから受け取るに最もふさわしいもの。 ・聖書の中に『神の約束』をたくさん見つければ見つけるほど、私たちの益となる。    ②同じ歩調で生きる ・私たちも「恵み深く」「誠実に」歩む時、『神の臨在』を体験する。 ・この世は「臨機応変」を求め、「正直者はバカをみる」世界。まやかしものに流されるな![ローマ12:2] ◆今週の『暗唱聖句』: [詩篇37章3~4節]   Outline of the sermon      “Full of grace and truth.”     (04/02/2018) ◆“Grace” & “Truth”.  *Jesus Christ is full of “Grace and Truth”! Read more

(289) “私たちは神の作品であって…。”

私たちの『個性』というのは「生まれつき」なのでしょうか?それとも「後から備わったもの」なのでしょうか? ずっと以前には「人間の個性はすべて後天的なもので、生まれた時には皆同じような性質を持って生まれてくる」と信じられていました。しかし2人以上の子供を育てた経験のある母親たちは口を揃えて「そんなわけはない。人間は生まれた時からそれぞれ違った特質を持っている」と主張していました。さて、どちらが正しいのでしょうか? 近代の科学は、この母親たちの意見が正しかったことを証明しています。近年の数々の科学的発見を通して、生まれたばかりの赤ん坊には「その子の個性に影響を与える少なくとも9つの重要な要素」が既に備わっているということが分かりました。そして興味深いことに、その内のいくつかは、成長過程のずっと後の方で徐々に明らかになっていくというのです。時々「ウチの子供たちは、皆同じように育てたのに、どうしてこんなに違って育ってしまったのかしら???」とぼやく親がいますが、それは当然なのです。 考えてみると、空から降る雪の結晶や、海辺の数え切れないほどの砂粒にしても、1つも同じものはありません。ならば『人間』のような複雑な生物が「全く同じような性質で生まれてくる」と信じること自体に無理があるのではないでしょうか? 神は私たち人間を1人1人「ユニークに」デザインしてこの地上に送り出してくださいました。ですからお子さんをお持ちの親御さんたちは、お子さんたち1人1人の違いをしっかり見極めて、それぞれにふさわしい道へと進ませて上げられるよう、日々神様からの知恵を求めてください。そして私たちも「神が自分のために立てておられる計画」を見つけるべく、日々聖書を読み、祈り深く歩んで行きましょう。

2018年1月28日 「イエスはまことの光」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「イエスはまことの光」      (28/01/2018) ◆イエスは『光』である。 [ヨハネ1:6-9] ・イエスご自身の証言。 [ヨハネ8:12] イエスに従う者は、決して「やみの中」を歩まず、「いのちの光」を持つ。では「光とやみ」とは? ◆『光』とは? [創世記1:3-4] ・神が天地創造の初日に、その存在を命じたもの。「太陽」のことではなく、言わば『神の栄光』そのもの。 ・神はすべての被造物がご自身の満ち満ちた栄光を反映するようにと計画され、その『光』をやみと区別された。 そしてご自身の栄光がどんなやみの中にあっても輝き、やがては光がやみを打ち砕くように定められた。そし てそれがイエス・キリストによって実現した。私たちはこのキリストによって『光』と出会う。[Ⅱコリント4:6] ◆私たちと光との関係 ・光に背を向けて歩むと、自分の影を見ながら生きることになる。しかし光の方を向いて生きるなら、そこには 『自分』もなく、『光』だけになる。そしてこの光は私たち自身の内にさえ光を灯す。[エペソ5:8-11] ◆光の中を歩む [Ⅰヨハネ1:5-9] ・「光の中を歩む」とは「神との交わりの中に生きる」ということ。暗闇に誘惑されて、つい後ろを振り向いて失敗 したとしても、もう1度『方向転換(悔い改め)』をして、神との交わりの中へ戻ることができる。 ◆今週の『暗唱聖句』: [ヤコブ1章17節]   Outline of the sermon     “Jesus is the true light.”    (28/01/2018) ◆Jesus is “the light”. [John1:6-9] Read more

(288) “みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。”

現代の1つの風潮に『知識偏重』というものがあります。私たちは「既に分かっていることを実践する」よりも「まだ知らないことを追求しようとする」ことに魅力を感じやすいようです。 例えばある企業はその体質を改善するために多くの会議をし、その道の専門家を招いて講義を聴き、本を読んで勉強したりしますが、肝心の社員たちから日々寄せられる不満や要望にはあまり応えようとしません。 また私たちの日常生活を見ても、健康食品の雑誌や番組を観たり、スポーツクラブの広告を手に取ったり、「甘いものを食べるのは今回限りにしよう!」と決心したりしますが、実際に食生活を変えたり、定期的な運動を始める人はわずかです。 実はこれはクリスチャンとしての信仰生活にも当てはまります。私たちは聖書を読んで感動したり、教会の集会で学んだことに納得させられたりしますが、それらのことを実行に移すことは苦手です。聖書に「赦しなさい」と書いてあるのを読んでも「でも私の場合はちょっと特別なケースだから…」と見て見ぬふりをしたり、教会で「受けるよりも与える方が幸いです」と教わっても「とは言っても、やはり万が一の時のために貯蓄しておかないと困るから…」と出し惜しみしてしまうのです。 神は『知識』の中にはおられません。神は『愛』の中に住まわれるのです。いくら聖書の知識をたくさん蓄えても「分かったことを実践する」ことなしには、本当の意味で神様の祝福を体験することはできません。結論は単純です。あなたはもう十分に『知って』います。ですから今日、分かっていることを実行に移してください!

2018年1月14日 「イエスは神のことば」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「イエスは神のことば」      (14/01/2018) ◆イエスは『神のことば』 [ヨハネ1:1-4] ・イエスは「神のことば」であり、彼にいのちがある。 [ヨハネ6:63] ・「みことばを求める」とは、「イエスご自身を求める」ということ。みことばが私たちの内に『新しい創造』を行う。 ◆『ことば』は「正しい関係」に基づいてこそ、真価を発揮する [ヨハネ14:23-24] ・イエスは「神のことば・神の心」を証するために来た。何故なら、世は神を正しく理解していないから。 ・私たちは「イエス・キリストを通しての、神との愛の関係」の内にある時にのみ、『神のことば』の中に「神の愛といのち」を見出すことができる。 ◆正しい土台の上に人生を建て上げる ・イエス・キリストが土台。[Ⅰコリント3:10-11] ⇒ この世の知恵や常識によって「神のことば」を解釈しようとするな! ・「イエスのことば」を土台として、人生を建て上げる。[マタイ7:24-27] ◆今週の『暗唱聖句』: [ヤコブ1章21節]   Outline of the sermon     “Jesus is the Word of God.”    (14/01/2018) ◆Jesus is “the Word of God”. [John1:1-4] ・Jesus Read more

(287) “神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。”

多くの人々は『変化』を嫌います。できるだけ「現状を維持したい」と思うのです。確かに同じ事を繰り返していることは楽ですし、危険を回避することができますが、と同時に「目覚しい成長」を経験できないことも事実です。 聖書の中に出てくる「信仰の偉人たち」(モーセ、ギデオン、ダビデなど)は皆、初めは弱く失敗の多い人々でしたが、神に信頼して人生を歩む中で、後世まで語り継がれるヒーローとなったのです。 空中を美しく舞うあの蝶も、初めはカッコ悪い『毛虫』にすぎません。地面や葉っぱの上にネバネバした後を残しながらノロノロと這い回る、それこそ誰にも見向きもされない存在です。それがやがて成長してあの美しい蝶に変わるのですから、驚きですよね? 実はあの蝶の飛翔する力は、毛虫時代に黙々と這い回り続けた成果なのです。カッコ悪いと嘲笑されながらも与えられたいのちを精一杯生きることは、後になって想像を超えた結果をもたらすのです。今のしばらくの間の試練は、やがてあなたの人生に美しい花を咲かせるためになくてはならない格闘なのです。 悪魔はこのことをあなたに知って欲しくないので、「そんな大変な苦労はもうやめて、サッサとあきらめてしまいなさい。神様はお前なんかの人生を用いて大したことをしてくれるわけがないんだから…」とささやきかけます。しかし多くの試練を潜り抜けて偉業を成し遂げたキリストの使徒パウロは次のように結論付けました。「私が弱いときにこそ、私は強いからです」と。あなたはどちらの言葉を信じますか?

2018年1月7日 「あなたはイエスを誰だと言いますか?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「あなたはイエスを誰だと言いますか?」   (07/01/2018) ◆神は御子を通して語られた [ヘブル1:1-3] ・キリストは「被造物(造られたもの)」ではなく、『創造主』。 ・キリストは「神の本質の完全な現れ」であり、すべての権威を持つ方。 [コロサイ1:15-17] ・多くの人は「私は神は信じるが、イエスは信じない」と言う。これは単に「神を自分のイメージの中にとどめておきたい」とする自己中心性に過ぎない(イエスの時代の律法学者たちと同じ)。 ◆イエスご自身の証言 ・イエスは「わたしこそ『神』である。だからわたしを信じなさい。」などとはおっしゃらなかった。むしろ彼はいつも 『御父』に栄光を帰し、「自分と父なる神とは1つである」と強調された。[マタイ10:40,ヨハネ12:44-45] ・ある時イエスは弟子たちに尋ねた。[マタイ16:13-18] 同じ質問が今日私たち1人1人にも問われている。そして「イエスこそ生ける神の子キリストである」という告白の上に、真の教会は建て上げられる。   Outline of the sermon     “Who do you say Jesus is?”    (07/01/2018) ◆God has spoken to us by His Son. [Hebrews1:1-3] ・Christ is not “created” Read more