(220) “キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。”

すべての人は「幸せになること」を求めていると思いますが、つまるところ『幸福』とは何でしょうね?お金が十分にあって、何でも欲しいものが手に入ること?家族が仲良く暮らしていて、人間関係がうまくいっていること?仕事にやりがいを感じていて、成果を上げていること?健康で食欲もあり、日々の食事を楽しめること?どれを取っても「幸せを実感できる要素」に違いありません。ただ、これらのものがいつもすべて揃っているわけではないし、もし揃っていたとしても「いつ失われてしまうのだろうか?」という不安があるなら、結局本当の意味で『幸せ』とは言えないのかもしれません。すなわち「幸福の条件」を出来事や状況の中に見出そうとしている限り、私たちはいつまで経っても『不変の幸福感』を手にすることはできないのです。 『真の幸福感』というものを言葉に表現するとしたら、それは恐らく「永続的な平安」ではないでしょうか?人生の荒波に出会っても動じることなく、大切なものを失ってしまったとしても決して絶望させられることのない『不動の平安』。そしてそれは、真の神のみが私たちに与えることのできるものです。 私たちを取り巻く『平安』には3種類あります。①人間関係における平和 ②健全な自己愛による心の平安 ③神に完全に受容されているとの確信  これら3つのどれが欠けても、私たちは『真の平安』をもって生きて行くことができません。そしてこれらの平安は別々に起こるものではなく、互いに関連づいているもの、すなわち③→②→①の順に起こるものなのです。 私たちは、「創造主である神に完全に受容されている(神に対して後ろめたいところは何もない)」という確信を持てて初めて「私は生きていて良いのだ。私は『絶対的な価値』を持つ存在なのだ。」と実感することができ、「健全な自己愛(自分を価値ある者として受け入れ、大切にしようとする心)」を持つことを通して、「自分同様に他の人のことも受け入れ、尊重すること」ができるようになるのです。そしてこの神に完全に受容されているという確信は、「神がそのひとり子イエス・キリストを私たちの罪の身代わりに十字架におかけになった」という事実を信じることから生まれるのです。

2016年7月3日 「『キリストの御霊』の働き」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『キリストの御霊』の働き」     (03/07/2016) ◆「内なる聖霊」 = 「内なるキリスト」 ・『聖霊』と『内なるイエス』は、どう違うのか? → 実質的には同じ。[ヨハネ14:16-18,使徒16:6-7] ・ただ、「キリストの御霊」と呼ぶとき、そこにはある1つの特別な働きがある。[ローマ8:8-11] ◆『キリストの御霊』の持つ、「よみがえりの力」 ・私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストと共に生かされる。[ローマ6:8] *キリストは「私たちの身代わりとして十字架につけられた」だけではなく、 「肉にある私たちと共に十字架につけられた」。 ・私たちは、死ななければ「よみがえりの力」に生かされない。[ヨハネ12:24-25] 「自分のいのち」 ― 「自分にできる何か」を拠り所にして生きること。 → むしろ、「神が自分を通して何をなさろうとしているか」に目を向ける。 ・キリストの御霊は、「自分の欲(自己実現)のために生きる私たち」を十字架につけ、 「神の栄光のために生きる私たち(キリストの似姿)」へとよみがえらせる。[ガラテヤ2:20] ◆「神のみわざ」が現されるために ・パウロの「産みの苦しみ」 [ガラテヤ4:19] → 肉の力で(自分の栄光のために)神の働きをしようとしていた人たちがいたから。 ・神は「私たちの弱さ」を通して働かれる。[Ⅱコリント12:9-10]       ◎神の役に立つのは、「持って生まれたあなたの能力や才能」ではなく、 「こんな私で良かったら、どうぞ自由に使ってください」という、へりくだった献身。   Outline of the sermon      “Work of ‘the Spirit of Christ’.”      (03/07/2016) ◆“The Holy Spirit in us” = “Christ in Read more

(219) “アリは力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。”

『絵に書いた餅』ということわざがあります。「たとえその計画がどんなに素晴らしくても、実現しなければ何の役にも立たない」というような意味です。良い仕事を成し遂げる人たちには、1つの共通点があります。それは「他の人たちがやりたがらないことでも積極的に取り組む姿勢」です。お金が欲しい人たちはたくさんいますが、重労働は好みません。皆健康なからだを求めていますが、規則的な食事や運動をしようとはしません。優れた人生を歩むために必要なのは「立派な計画」ではなく、それを「実行に移す行動力」と「最後までやりぬく忍耐力」です。 良い習慣を身に付けるために「新しく何かを始める」のは簡単なことではありません。私たちはせっかく優れたスタートを切っても、ついなんだかんだと理由をつけてあきらめてしまいがちです。それでは「優れた習慣を身に付けるため」にはどうしたら良いのでしょうか? ①『小さいことから始める』 「優れた習慣」に向かうために大切なのは、進む『速さ』ではなく『方向』です。たとえ時間がかかっても、まっすぐに目標に向かってさえいれば、やがて必ず到達します。慌てず、急がず、着実に前に進んで行きましょう。 ②『自分から始める』 周りの状況が整うのを待っていたら、いつまで経っても始まれないかもしれません。他の人々も「誰かが始める」のを待っているものです。それが真に「優れた習慣」ならば、あなたが始めることによって必ず『何か』が起こり始め、その『何か』が周りを動かし始めるのです。 ③『とにかく始める』 新しい習慣を始めない理由はいくらでも見つけられます。「取りあえず学校を卒業してから」「結婚してから」「仕事が忙しくなくなったら」「退職してから」「死んでから???」 一見大変そうなチャレンジでも、実際に始めてみると思ったよりも楽だったり楽しかったりするものです。後回しにし続けた後に残るものは「あ~あ、あの時に始めておけば良かった…」という後悔の念だけです。 神様があなたに与えてくださった「たった1度きりの人生」を『絵に描いた餅』にしないために、今日「優れた1歩」を踏み出しましょう!

2016年6月26日 「御霊に導かれて生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「御霊に導かれて生きる」     (26/06/2016) ◆聖霊は具体的に導く ・ピリポの場合。[使徒8:29]   ・ペテロの場合。[使徒10:19-20]   ・パウロの場合。[使徒19:21] ・「神の子ども」の特徴。[ローマ8:14] 御霊に導かれた歩み = イエス・キリストの歩まれた歩み その最大の特徴は、「力あるわざ」でもなく、「人々に対する愛」でもない。『御父に対する愛と従順』。 ◆『御霊の導き』の性質 ①この世の知恵や経験からは推し測れない。[Ⅰコリント2:11] ②「神のことば」と矛盾しない。[ヨハネ3:34] ③特有の「内側からこみ上げる思い」を起こさせる。[ピリピ2:13] *これらの①~③のような導きに、どう応答していくのか? ①に対して ― ・1日を「自分の都合や計画による予定」でいっぱいにするのをやめる。 ・物事に関して、無理に知的に納得しようとしない。 ②に対して ― ・みことばを蓄え、それを思い巡らす。 ③に対して ― ・「心に浮かんだ思い」を吟味する。 そこには「御父への愛」があるか?  「誰かをさばく思い」はないか? ◎失敗してもいいから、幼子のように素直で大胆に応答しよう!   Outline of the sermon       “What is ‘Spirit-led life’ like.”      (26/06/2016) ◆The Holy Spirit definitely guides us. ・He guided Philip. [Acts 8:29]   ・He Read more

(218) “悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。”

ある会社員が毎朝駅の売店で新聞を購入していました。売店の販売員はいつもこの会社員に礼儀正しく丁寧に応対するのですが、この会社員はいつもイライラしていて、お金を払うと新聞を奪い取るようにして急ぎ足に去って行くのです。それにも関わらずこの店員は去り行く男の背後から、毎回明るく弾んだ声で「いつもありがとうございます!」と声をかけるのでした。ある朝売店で一緒に働いていた同僚がその様子を見ていて「あのお客はいつもあんな風に無愛想なの?」と尋ねました。「ええ、そうなのよ。」同僚は更に尋ねました。「それなのにあなたはどうしていつもああやって明るく丁寧に応対できるの?」店員は答えました。「だって、私がお客さんにどんな風に応対するかを、お客さんの私に対する態度で左右されたくないもの。」 『移る病気』は「インフルエンザ」とか「エイズ」ばかりではありません。「不機嫌」「怒りっぽさ」「陰口」など、人の気分や悪習慣も大変伝染しやすいものです。ですから「どんなタイプの人といつも一緒にいるか」は選んだ方がいいですね。けれど「1日のうちにどのような人と出会うか」を選ぶことはできません。ですから私たちは朝ごとに自分の心にこう言い聞かせる必要があります。「私の気分は、他人や周囲の状況(お天気?)が決めるのではなく、私自身が決めるのだ!」 神はそのひとり子イエス・キリストをお与えになるほどに、私たち1人1人を愛してくださいました。そしてその同じ愛が今日も私たち1人1人に注がれています。私たちが周りではなく、上を見上げて、今日も変わらない愛を注いでくださっている神と心を通わせて生きる時、あなたから発信される『愛のウイルス』が周りを変えて行くかもしれません。

2016年6月19日 「『御霊に導かれた歩み』とは?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『御霊に導かれた歩み』とは?」    (19/06/2016) ◆「文字(律法)による束縛」ではなく、「御霊による自由」 ・「文字は殺し、御霊は生かす」[Ⅱコリント3:6] ― 律法学者たちは、文字に縛られてしまった。 ・目的地を目指すのに、「正確な地図に頼る」ことと、「道を熟知している案内人に頼る」ことの違いに似ている。 地図を見ながら歩くのは、結局自分の能力に頼るので、不安と緊張感がある。案内人に信頼して歩けば、 リラックスできるし、目的達成のみならず、歩く道のりを楽しむこともできる。 ◆「御霊に導かれた歩み」を妨げるもの[ローマ8:1-6] ・それは、『肉』(生まれながらの自分の傾向性)。しかしこの「肉の性質」に対して信仰によって『No』と言いつつ、 御霊に従って生きるなら、律法の要求は成就されていく。 ◆律法の集約[マタイ22:35-40] ― 「神」を愛し、「人々」を愛すること ・使徒たちによる言い換え [Ⅱコリント5:15,Ⅰヨハネ3:16] ・イエスによる描写 [マタイ25:31-40] ・私たちがもし『肉』にではなく『御霊』に従って生きていくなら、このような歩みが実現する。これは実は主イエス が初めから人々に示されていたもの。[ルカ9:23-24] ◆何故そんな生き方ができるのか? ①人にはできないことが、神にはできるから。[マタイ19:25-26] ・キリストの栄光が輝き出るのを体験するためには、私たちにできそうなことだけをしていたのではダメ。 ②聖霊との交わりの中で生きることに、それだけの魅力があるから。 ③「最高のゴールに到達する」という確信と希望があるから。   Outline of the sermon       “Living by the Spirit.”      (19/06/2016) ◆“Walk by the law” vs “Walk by the Spirit”. ・“The letter kills Read more

(217) “主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。”

野生の鹿やシマウマなどの群れは、ライオンや虎などの野獣に襲われた時、生まれたばかりの赤ん坊をその場に置き去りにして逃げるそうです。これは彼らが自分の子供を大切にしないからではなく、次の2つの理由からです。第1に、赤ん坊は足手まといになるので、赤ん坊を連れて逃げると、自分自身も赤ん坊のいのちも危険にさらされるからです。そしてもう1つの理由は、赤ん坊はまだそれらの野獣を恐れることを知らないので、置き去りにしても野獣に見つかる可能性が低いからです。何故なら、野獣は獲物たちの『恐れの波長』を嗅ぎ取って追ってくるからです。 私たち人間の世界も同じです。私たちの人生を脅かす災いは、しばしば私たちの『恐れの波長』に引き寄せられて忍び寄ってきます。「もしかしたら悪い病気にかかっているのではないか?」「事故に遭ってしまうのではないか?」「これだけの貯金では足りないのではないか?」「いつか恋人に裏切られてしまうのではないか?」などなど。これらの恐れは私たちの人生に対する態度を消極的にし、お酒やドラッグへと走らせ、少しずつ私たちの人生を蝕んでいき、やがて破滅へと至らせるのです。 これらの恐れは一体どこからやってくるのでしょう?それは「私たちのいのちの根源である『神』から離れてしまっていること」から来ているのです。ある人々は「自分の人生は自分で切り拓く。『神』なんか要らない!」と言い、また別の人々は「神様は真面目で勤勉な人たちにはご利益をくださるが、自分のように弱く失敗ばかりしている者は見捨てられてしまうに違いない」という『誤った神観』を持っています。 聖書では、しばしば私たち人間と神との関係を「羊と羊飼い」にたとえています。羊は動物の中でも最も弱く依存的であり、羊飼いの優しく力強いケアなしには生きられない存在です。そして神は私たちにも、「自分の弱さや限界を素直に認め、神に信頼して生きるように」と願っておられるのです。生きていく上で試練や挫折が起こるのは、それらの経験を通して私たちが「私たちの人生の羊飼いである神」と出会うことができるためなのです。