(453) “すべてのことにおいて感謝しなさい。”

 次の文章の空欄に、あてはまることばを入れてみましょう。 「私の人生は絶対にもっとマシになるはず!もし私の体型が    だったら…、顔が    だったら…、親が    だったら…、配偶者が    だったら…、友人関係が    だったら…、収入が    だったら…」  考え出すとキリがありません。でもついつい考えてしまいますよね?そんなアナタに1つの提案です。  この「もし    だったら、ずっとマシなはずなのに…」という思考パターンを、「私の人生を少しはマシにするには、どうすれば?」という思考へとシフトしてみるのはどうでしょう?そうすると、少なくとも次の3つの変化が起こり始めるはずです。   ①それまで「後ろ向き」だった自分の人生に関する視点が『前向き』になる。   ②現時点で自分に与えられている物・資質・人間関係などに対する関心が高まる。   ③「感謝の心」が湧いてくる。  誰であっても「自分が持っていないもの」に気を取られている間は、感謝の気持ちはほとんど湧いてきません。ところが一旦「今の自分に何が与えられているか」を意識し始めると、驚くほど多くのものを見つけることができ、自然に『感謝の心』が湧いてくるのです。「飲み水があること」「太陽が昇ること」「雨風をしのげる場所があること」「思い浮かべることのできる知り合いがいること」などなど、普段は『当たり前』と思ってほとんど忘れてしまっているようなことがたくさんありますよね?  聖書が教えてくれている『神様』という存在も、それと似ています。いつも私たちの近くにおられるのに、私たちが他のことにばかり気を取られているので、ピンチになったり痛い目にあった時だけ「文句を言う相手」にされたり、「お願い事の対象」にされたりしているのです。何だかちょっと可哀そうな気がしませんか?  神様はあなたを愛しておられ、いつもご自身の祝福であなたの人生満たしたいと願っておられます。ただあなたの心が「後ろ向き」だったり「うつむいて」いたりしている間は、その祝福を見つけたり受け取ったりすることができません。上記のように、ちょっと『思考パターン』を変えてみる、これが「神と共に歩む人生」をスタートするきっかけとなるのです。

2021年8月29日 「信仰の目」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「信仰の目」 (29/08/2021) [マルコ 8:11~21] ◆信仰の性質 [11~12節]   ・パリサイ人たちは「イエスを試そうとして『しるし』を求めた」。サタンも荒野において「イエスを試そうとして『しるし』を求めた」。それ故このようなパリサイ人たちの態度に対し、イエスは(霊において)深くため息をついた。   ・一見「しるしを求めること」は信仰的な行為に思えるが、たとえ『しるし』を見ても、信じない者は信じない。ある意味『しるし』は私たちが「自発的に信じること」の妨げとなる。これは神の願う信仰のスタイルではない。 ◆「信仰の目」を養う [15~18節]   ・ここで「パリサイ人やヘロデのパン種」とは、『この世からの不敬虔な影響力』を象徴している。この世は私たちを「目先の必要」によって惑わし、神に求めさせる。そして「思い通りにしてくれない神なんか要らない」という結論へと導く。この場面でも、『霊的な話題』をしているイエスに対し、弟子たちは「目先の必要」に固執している。   ・弟子たちが悟るべきだったのは、必要なのは「パン」ではなく『イエス』なのだということ。『優れた信仰』は「神との出会いの経験の積み重ね」によって育まれる。[詩篇103:2] 『12』や『7』は神を想起させる数字。ここでイエスがおっしゃりたかったのは「どのような場面でも、そこに関わっておられる神の御手を見よ!」ということ。 ✰今日のキーワード: 神の御手捜し ◎更に深い学びのために  ①どうして「しるしを求めること」が「信仰的な目を養うこと」の妨げになることがあるのでしょう?  ②あなたが陥りやすい「この世のパン種」は、どんなことですか? それに対しどんな対策が考えられますか?  ③あなたが見つけたことのある「日々の生活の中での神の御手」について、互いに分かち合いましょう。 Outline of the sermon        “Our spiritual eyes.”        (29/08/2021) [Mark 8:11~21] ◆Nature of faith. [Verses 11~12]   ・“Seeking signs” sounds like “faithful”, but actually not.  Regardless of signs, those who believes will Read more…